結城はドアの鍵を閉め、中年男の左手からすり抜けるようにアパートを後にした。振り返ると、中年男は結城の方を見つめたまま、淋しそうに佇んでいた。
あいつはどのようにして自分の住んでいる場所を見つけたのだろう。あのとき、逃げ帰る後をつけてきた奴はいなかったはずだ。見落としていたのだろうか。聞いてほしいこととは何か。助けでも求めているのか。それにしても、顔には傷跡一つなかった。疑問符が頭の中を駆け巡った。
*
早朝から小雨が降り続いていた。
昼頃にまた玄関をノックする音が聞こえた。中年男を追い払ってから、一週間ほどたっていた。
安堵していた矢先のことだったので、結城幸助は急に腹立たしくなってきた。自分は何も悪いことをしていない。びくびくする必要など、もとからないのだ。もういい加減、あの一件のことは断ち切らないといけない。中年男を脅してやろうと、玄関に向かった。
ドアののぞき窓に目を当てた。リュックサックを背負った若い女性が赤い傘を差しながら立っていた。一目見てかわいいと思った。誰だろう。扉を開けた。
「こんにちは」
若い女性は言った。
「どうも」
結城は相槌を打った。
「お時間ありますか」
「まあ……」
結城がそう答えた瞬間だった。傘を差さずに雨に打たれている中年男が右横から顔を出した。
「聞いてくださいよ」
「何だよ」
「この子は私の妹なんです」
結城は戸惑った。若い女性は微笑んでいた。この兄妹、似ても似つかない顔をしている。
「あなたのことを妹に話したら、是非お会いしたいと言うので連れてきたのです。お話しするくらい、いいじゃないですか。今、暇なんでしょう」
中年男は結城の心情を見透かしたかのような口ぶりだった。
「何の話をするんだ」
「中に入れてもらえませんか。ちょっとでいいですから」
「だから、何の用だよ」
「妹の話を聞いてやってほしいのです」
「妹さんの?」
「相談したい事があるそうなのです」
「なぜ、俺に?」
「野暮なことを言わないでくださいよ。冷たいじゃないですか」