待望の第2子は安産から程遠く、陣痛室で8時間苦しみ、さらに出産直前にさい帯離脱(へその緒が赤ちゃんより先に外に出てしまう)により赤ちゃんに酸素が届かない状況が発生し緊急帝王切開になりました。
「手術室押さえて!!」
「〇〇先生に緊急手術になったこと連絡して!」
「(搬送用)エレベーター止めてきて!!」
陣痛室に8時間横たわっていたベッドから突如ストレッチャーに移され、まだ意識のある私には何が起こったのか?!
その時は何もわからず、ただならぬ周囲の医療スタッフの様子を見る限り、どうも私は手術室へ行くことになったことが理解できました。やっと陣痛から解放される……。とぼんやりと痛みのその向こう側にあるもうろうとした意識で考えていました。
子宮筋腫によるハイリスク出産は覚悟していたものの、前回の出産は自然分娩の安産だったこともあり、まさかのこのような緊急事態、親子で生死をさまよう状況に陥るとは想像もしていませんでした。
4年前には流産を経験。命というのは母親のお腹に宿った瞬間から生きる、死ぬ、その紙一重なのです。当たり前のように生まれてくる命は一つとして存在しないのです。
後に医師から聞いた話なのですが、その病院は市内でも一番大きな病院。外来診療も落ち着いた夕方に近くなる午後時間での急変。手術室には産婦人科部長、助産師、麻酔科、外科各部門の部長たちが短時間で一堂に手術室に集まり、緊急帝王切開から、新生児科の先生方による蘇生により赤ちゃんの一命は取り留められたとのこと。
生きるということ、生きているということは奇跡の連続。自分の意思だけでは成立しないのです。
しかし、その日から育児書通りには進まない壮絶な子育てが始まりました。
もし息子が出産時トラブルにならずに障がいを持たない子どもとして生きることになっていれば平凡ながらも何も考えることなく家族4人で今も東京に暮らしていたかもしれません。
【イチオシ記事】帰ろうとすると「ダメだ。もう僕の物だ」――キスで唇をふさがれ終電にも間に合わずそのまま…
【注目記事】壊滅的な被害が予想される東京直下型地震。関東大震災以降100年近く、都内では震度6弱以上の地震は発生していないが...