【前回の記事を読む】「私、……本当にしてないです」中学2年生のくるみに降りかかった残酷すぎる現実とは――?

訳アリな私でも、愛してくれますか

くるみとディナーに行った数日後。理子はいつものように先輩から企画のダメ出しを食らっていた。

「結局のところ岡野がさ、この企画でやりたいことってなんなの?」

「地上波では出来ないニュース討論会です。大手民放が取り上げないようなセンシティブな話題も、私達のような動画メディアではできると思います」

相手は動画メディアの副編集長を務める40代の某テレビ局出身者。企画のフィードバックは、いつも彼にもらっている。

「なんでやるの?」

「まずはうちの視聴者層である若い世代が、ニュースや世間で起きていることに関心を持つように仕向けたいと思っています」

「で?」

「そこから、もう1つ上を目指すなら、広告主の方たちが若い世代の興味関心を知り、既得権益の上にあぐらをかいて忖度ばかりのニュース報道を行う既存の大手民放メディアへの見方を変えるところまで持っていきたいんです」

「……それやって俺たちになんか意味ある? 炎上商法的にやるってこと?」

「いえ、違います」

「センシティブな話題を扱って、それを面白がる若い世代をうちに引き込むつもりってことじゃなく?」

理子は言いたいことがうまくまとめられずに唇を噛んだ。相手に偏見がないことを祈るが、さすがにテレビ局の出身者に対して忖度のないことを言い過ぎたかもしれない。しかし、副編集長はそういう民放では出来ないことがやりたいとメディア立ち上げの際に語り合った相手でもある。

「俺個人としては、まぁニュースとしてやりつつも、若干きわどい話で視聴者を呼び込むのはいいと思うよ。こちらはニュースとして、あくまで演者たちに自分たちの意見を言い合ってもらうっていう見せ方にすればいいんじゃない?」

(そういうことじゃないんだけど……なんて伝えたら、いいんだろう)

ある意味そういうやり方でも成立するのかもしれない。しかし、理子のポリシーが許さなかった。これを言ったらこの企画がボツになるというのもわかっている。それでも、理子は口を開いた。

「……炎上商法で話題作りができるのは、あくまで個人だと思うし、私としてもそうであってほしいと思っています」

「というと?」

「企業が自分たちのブランド性を犠牲にしてまでコンプライアンス的マイナスイメージを世間に打ち出すのは、間違っていると思うからです。演者の意見だとしてそれを放送するだけなら、たしかに批判の的にはならないかもしれません。

でも、その動画を見た人が自分をけなされるような気持ちになったり、辛い過去を思い出したりしたら、……それはただ、人を苦しめるだけのような気がするからです」

「それって岡野の価値観じゃん。何度も言うけどさ、うちは会社として利益を出さなきゃいけないわけ。誰かを傷つけようが、それで議論になったらそれだけで前進だろ。企画の骨子としてはいいけど、それは岡野の考えが甘すぎるんじゃないか?」

『だったら、政治家の問題発言はそのたびに議論になりますけど、一向になくなりませんよね。議論になることがすなわち前進だとは思いません』

理子はそう言いたいところをぐっとこらえた。

「……もう少し、考えさせてください」

「ああ。頑張って」

釈然としない思いと、もしかしたら自分が間違っているのかもしれない、という思いがせめぎ合う。甘いと言われたら甘いのかもしれない。昔から正義感が強く、弱者の盾になろうという思いが強くある。