(村木)
最初の頃は、ねぎらいのつもりで、帰る前にお茶を入れてあげたことも迷惑そうでした。余計な気を遣えば、かえって角が立つようです。
あれ以来何となく気まずくなり、〝触らぬ神に祟りなし〟と、避けるように過ごしていて、お互いに顔を合わすこともなくなりました。
子どもの、たどたどしく弾くピアノの音が聞こえてくると、落ち着いていられません。しばらくの間、私は迷惑にならないようにと、ピアノ教室がある日は二階の部屋にも鍵をかけて、教室が始まる前に家を飛び出るようになりました。
喫茶店で読書をしたり、ショッピングモールのお店を冷やかしたり、時には町内会の役員会に出かけたりして過ごすことが、私の気分転換の日課となりました。今ではちょっと寂しいけれど、そのほうがお互いにすっきりしてよかったのかもしれません。
でも教室のない曜日には、共用スペースとして自由にリビングに入れるのですが、我が家であって我が家じゃないような、変なよそよそしさを感じて、なるべく入らないようにしました。
そうこうしているうちに、三ヶ月が経ちました。用事があって銀行に行ったついでに通帳記帳をしてみると、彼女からの賃貸料が先月分から滞(とどこお)っていることに気がついたのです。
たしか契約書では、翌月分を前月末までに振り込むという約束になっていたはずです。私は、あえてあと半月待ってみて、再度確認してから思い切ってメールをしました。
「失礼いたします。今日銀行に通帳記帳に行きましたところ、先月分からのお部屋代が滞っているようです。ご確認よろしくお願いいたします」と、丁寧に書いたつもりでした。
「あまりにも口出しと要求が多く、契約書を守ってくださらないので、支払いを止めさせていただいておりました。確認いたします」
との返事に、またもびっくりです。彼女の言う意味が、まったく理解できません。私は何を口出しと要求をしたのかしら。契約書を守らないのはどちら側かと思いました。
開いた口が塞(ふさ)がらないとはこのことでしょう。意見があれば聞く耳は持っているつもりです。支払いが遅れるなら、ひと言「待ってください」と断ってくれたなら、了承してあげたのに。
私のどこがいけないのか、心臓がどきどきして、どう対処したらいいのかわからなくなりました。わずかな金額でも、人としての約束を守るという常識的な対応を願っているだけなのです。彼女はいったい何を考えているんでしょうか。
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