第1章 筆者の経歴
筆者の経歴をやや詳しく述べるが、そこにおける経験等は、筆者が本書で述べるところのベースとなる。
1 生い立ち
筆者は、太平洋戦争(1941年12月~1945年8月)中の1944(昭和19)年3月2日に出生し、現在(2025(令和7)年5月)81歳である。出生地は、愛知県豊橋市である。
筆者は、戦災の記憶はないが、生育の時期は戦後の苦難の時代であった。父が海軍の技術将校であり、戦後公職追放(佐官以上)により電気店を開いたりしたが商売に向くわけでなく、貧しかった。
母が苦労もしたので、父に何故海軍に行ったのかと聞いたところ、「国がつぶれるとは思わなかった」と答えたという。1953年に父が埼玉県の会社に職を得たので、同県に移住し、1956年に東京都に移住した。
1962(昭和37)年3月に東京教育大学(現筑波大学)附属高校を卒業し、同年4月に東京大学教養学部理科1類に入学した。
昭和(~1989年)とそれに続く時代は、ホンダ技研やソニーのような会社が勃興したように、活力のあった時代であったと思う。
2 大学で理科系の道を目指す
(1)東京大学工学部から東京大学工学系大学院修士課程へ
1966(昭和41)年3月に東京大学工学部合成化学科を卒業した。
卒業論文は「コバルト顔料鉱物の研究」というもので、元素の周期律表の鉄族の遷移金属であるコバルトの電子軌道(3d軌道)の結晶場(配位子場)における変位による発色の相違を研究した。
1968(昭和43)年3月に東京大学工学系大学院修士課程工業化学専門課程を修了した(工学修士)。修士論文は、結晶とガラス状の三硫化二ヒ素(As2S3)の分子構造の比較を研究したものであった。