あさみは考える力を失って、うなずいた。きびすを返して去る前に、越前は上体をひと揺れさせた。
そんなささいな仕草によって、限られたわずかな時間を何倍にも意味深くしていく。含みのたっぷりこもった眼差しを、女心にしかと刻み付けていく。
あさみはそれをキザだと思わない。板についたダンディぶりだと思う。そもそも、常日ごろ何気なくやり過ごす一秒単位の時間を、どこまでも引き伸ばし、飽かずこねくり回し、深く内側へ掘り下げて思いに沈むことこそ、恋愛という心理現象なのではあろうけれど。
越前は階段を駆け上がっていった。あさみは理緒子のほうを向いた。こんな会話を交わすだらしない姿をさらして、どんなに辛辣(しんらつ)な皮肉を言われるだろうか、と顔色をうかがった。
だが目に映ったのは、もっとぼんやりしている理緒子だった。椅子に座って見上げていたが、たまたまこちらへ目が向いているというだけで、頭は別の考えに浸っている様子だった。タクシーが入ってきた。短いクラクション。
車の中では二人とも口を開かなかった。あさみは越前のことが忘れられず、彼の言葉の意図を胸の内でしきりに考えていた。これまでどれほど思い続けてきたことか。
彼はずっと思わせぶりばかりで、『話がある』などとは一度も言ったことがなかった。なのに、なぜ今になって? 山川に関して嫉妬でも芽生えたというのか。『僕はこんなことは嫌いだ』 ――そのとおり。
嫉妬など、誰でも嫌いだ。そこで遅ればせながら、あさみに対して特別な感情が頭をもたげてきた、と?隣の理緒子を見た。窓からじっと外を見ている。いったい全体どうしたというのだろう。
よほどのことがあるらしいのはわかるが、それがどんなことなのか、見当がつかなくなってしまった。いずれにしろ、理緒子のためならひと肌もふた肌も脱ごうとは思っている。