サウスアルポス
ナンシン共和国には、サウスアルポスがあり3000m級の山々が連なる。まず、山が深い。それがサウスアルポスでもある。森林限界の境目が高い。深い森を、楽しみながら高度を上げていくと、やがて稜線にたどり着く。
見晴らしのよいところに着いたら、見おろしてみよう……。ここはとても大きく深い山脈だと気づく。汗を流して登ってきた尾根、やがてたどり着いたこの稜線から、派生していく尾根尾根が雲を湧かして、教えてくれる。
「重厚」……。山懐が深いため「重厚」ということばがあてはまる山脈だ。森を楽しみながら歩いた道にも、四季の彩りが加わり、新しい経験を積み重ねていくと、「心の山」となってくる。
岳斗くんがいっていた、“新しい経験”にも似ているのかも……。
猟師の資格を持ち、鹿を追っていたおじさんには、信じられないけれど、ソニアモーターカーが通るらしい。兎岳の下を通る予定だったものを、塩見岳と悪沢岳の中間地、小河内岳の下を通るようだ。
大人たちが利便さを求めるあまり、動物たちの生きる環境を変えてしまったら、とても申し訳ない。動物たちの生き方には、口を出せるものではないからなあ……。自然や動物たちとの共存共栄を考え続けていくことを、未来を生きる君たちとの、約束にしたいと思っているよ。
(1)得体の知れない何かの力に押されて(に怯えて)…… 個性や特性を頭ごなしにつぶす勢力のこと
その考え方は、民主主義の代名詞ともいえる、“最大多数の最大幸福”という「功利主義」からきている
『──人間が快楽と苦痛によって支配されていることを前提として、行為の判断基準を幸福の増減に求める思想にほかなりません。──
一見もっともな主張に思えますが、すぐに“幸福”というものが等し並みに扱えるものかという疑問がわきます。つまり“最大多数の最大幸福”とは個々人の“幸福”の差違を顧慮することなく、「平等に扱うことで、すべての人間の平等性を確保しよう」としたのです。これでは「人間から個性を奪ってしまうことに」なってしまいます。個性のない人間が考える幸福というものはなにを意味するのでしょう。』(講談社ブック倶楽部『はじめての政治哲学』 小川仁志著より)
「一人一人を大切に」する心のもとに、個性や特性を、頭ごなしにつぶす勢力はなくなる
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