【前回の記事を読む】つらい皿洗いの毎日、交通事故――上京してからは散々だったが自衛隊に入ったことでカメラマンという天職に巡り会えた!
はじめに

そしてもう一人、父と同じく母への感謝を伝えたいと思います。
母は、2017年4月16日に息を引き取りました。105歳でした。その年の初め頃から風邪をこじらせて病院に入院。食事が取れなくなり意識も徐々に遠のいていき、苦しむことはなく眠るように逝ったと兄嫁から電話がありました。覚悟はしていたものの、やはり寂しかった。今になっても、ふと涙が込み上げてくるときがあります。
母は看護婦として満州へ行き、そこで軍人の父と出会いました。父は戦争のことは一切話さなかったけれども、母は時折満州から引き揚げてくるときの苦しさを話してくれました。
戦争で全てを失った父と母は、母の故郷である鹿児島県の長島で第2の人生を始めたのです。その島で私は生まれ育ちました。
母との特別な思い出が1つあります。前述の、私が当て逃げをされたときのことです。私は頭を強く打って記憶を失っていたのですが、あるとき急に暗闇の中に薄い光明が射してきました。
数日後病院のベッドで、母の呼ぶ声が聞こえ、目が覚めたのです。「カズオ起きんかい! カズオ起きんかい!」。全身包帯で巻かれ生死をさまよっていた私ですが、母の呼ぶ声が現世へと呼び戻してくれたのです。母の声が届かなかったら、私はあのまま眠りからさめなかったのでは……と思うことがあります。
母が息を引き取る頃、アメリカに住んでいる私に不思議な現象が現れました。
あとで捨てようと庭先に置いていた蘭が蕾を付け、母が亡くなる頃から一輪ほころび始めたのです。私は気になってタイムラプスで写真を撮り始めました。兄嫁からの電話で母の死を知った私は納得がいきました。母が私に最後の挨拶に現れたのかもしれない。こんな小さな母から私は強く大きな体をもらったのだと、母との写真を見るたびに感じます。「母ちゃんありがとう」。
本作品は私の人生の集大成です。少しでも皆さんに臨場感を持って読んでいただけるように、詳細に記したつもりです。いつもひとりぼっちの旅でしたが、アメリカの大自然とそこに暮らす動物たちの姿を浮かべながら読んでいただければ幸いです。
カズ・タカハシ
高橋和男