白川は母親が亡くなり、茅根に心境を綴った手紙をくれた。白川は学生の時に父親を亡くしており、母一人子一人の家庭だった。苦労をかけた母親の死で悲嘆に暮れた一年だったと書いてあった。

「ところで、旅行中はずっと京都にいらしたんですか」白川が訊いた。

「東京の自宅を出発した日の午後、渡岸寺の十一面観音像に再会してきました。白川さんに案内してもらったのが最初で、また見てみたい衝動にかられていました。

それから帰り道に小谷城前でタクシーを待たせたまま降ろしてもらい、麓(ふもと)といっても一面雪景色でしたが、そこを散策してきました。そして昨日は京都龍安寺の石庭に寄ってみました」

「そうですか」

茅根は好きな歴史探訪の一人旅に出たつもりだった。その興味は二十数年前に出会った白川に負うところが多分にあった。

「白川さんは歴史の研究を続けているんでしょ」

「はい。現役は退きましたので今は自由業として研究を続けています。ガイドはもうしていませんよ。この歳になると体力的にもう無理ですしね」

白川は表情をやわらげた。

「それに私がしていた頃から比べたら、今は自治体が地元の観光をアピールすることに熱心ですから、歴史ファンにとっては不自由ないと思います」

「専門は『日本中世後期の歴史』でしたよね」

「はい。前にお話ししたかもしれませんが、尾張は三英傑輩出の地。これほど武将たちが覇権に野望を抱いた土地は日本全国どこを探してもありません。歴史は本質的に奥が深く探求心は尽きません。ところで、奥様はお元気にしておられますか。奥様とご一緒にご旅行してさしあげていますか」

 

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