筆者はもともと消化器がん、特に大腸がんを専門とした外科医である。

17年間大学病院に勤務したのち平成4年に相模原市で内科、外科、消化器科を標榜してクリニックを開業した。開業当初から市医師会の運営する大腸がん検診部会に参加し大腸がんの早期発見に努めてきたが、平成17年からはがん検診、その他の検診事業を統括する地域医療担当の理事に選任された。

平成27年からは相模原市医師会会長に選任され、2期4年務めた。市の会長を辞した後、2019年の6月に神奈川県医師会の副会長に選任された。

コロナとの遭遇は県医師会の副会長に就任して半年目の頃であった。神奈川県医師会の業務もまだ十分把握していない状況ではあったが、担当する役割の中に公衆衛生が含まれており、自動的にコロナ担当の副会長として菊岡会長をリーダーとするコロナ対策班の一員に指名されたのである。

内科診療はしているが、もと外科医で感染症の専門家でもない。自身は喘息持ちで吸入器が手放せず、通常でも酸素飽和度(SPO2)が94%しかなく、加えて70歳の高齢者。とてもコロナ対策班の適任者とは言えない人選であったが、会長は私よりもっと年上であり、持病も持っておられる。とても断れる状況にはなかった。

宮川副会長いわく、「新型コロナウイルスは全く未知の生命体である。今の時点で新型コロナウイルス感染症の専門家というものは存在しない」「今は全世界の医師が皆素人なのである。それを肝に入れて頑張るしかない」とその言葉だけを頼りにした私のスタートであった。

その後の新型コロナウイルス感染症の流行の経過はよく知られていることであるが、我々医療者がどのようにコロナと対峙し、戦ったかの記録を残しておくことは必要であろう。