【前回の記事を読む】「あたし、これ受けたいわ」「受けたいの?でも、話をしようよ。そのほうが楽しいよ…」彼女は見下した顔つきで返答の必要なしと考えた
2章 一本道と信じた誤算
「もし好みでなかったら、僕、最初から作り直してきますから」
彼はそう言いながら、座ったあさみにもう一つを渡そうと前かがみの姿勢になった。
その途端にのけぞって、アヂーッ、と悲鳴をあげた。後ろの理緒子が彼の背中にコーヒーをこぼしたのだ。
「あらどうしましょ!どうしましょ!」
理緒子はうろたえて足踏みした。アヂアヂッ、と山川は騒いで、肌から衣服を離そうと、そちこちをつまんでバタバタした。
茶色の液体はギャバのチョッキとカントリー調のシャツに染み込み、さらにズボンを伝って床まで汚した。あさみは自分のハンカチを取り出した。シャツをそれでつまみ、引っ張って体から離してやった。
近くにいた者達も、スナックテーブルから布巾を取ってきて床を拭いたり、彼のチョッキのボタンを外したり、手際よく手伝ってくれた。
「つまずいちゃったもんだから」
いかにも済まなそうな感じを出して理緒子が弁解した。あさみの頭にドッと血がのぼった。ウソつき! つまずいた振りして、わざと熱い液体を彼の出っ張った肩甲骨の間へぶちまけたのだ。
その証拠に、ふくらみのない頬にえくぼが寄りそうになるのを、まゆ毛の間の皺を上に引っ張り上げることで懸命にこらえているではないか。理緒子は明らかに愉快がっているのだ。これまで何度その表情を見てきたことか!
「いいんです。いいんですよ、たいしたことないです。これ、もう古いんだから。そうだ、ちょうどいいや、新しいの作ることにしよう」
山川はそうくり返しながら、チョッキを脱いで肩越しに後ろへ首を回し、どこまでシャツに染みが広がったか、見ようとした。「気にしないでください。このシャツ、もう捨てようかと思ってたもんなんです。このズボンだってね、ヨレ始めてたんですから。だから、こぼしてもらって、あ、よかったナ、って思ったくらいなんですよ」
彼は何も気づかなかった。薄笑いをこらえる理緒子の表情も、はにかみとしかとらえず、申し訳ながっている気持ちを少しでも軽くしてやることに余念がなかった。
シャツはちょっとだけみたいね、チョッキはどっかに吊るして干しておいたほうがいいわ、ズボンはしょうがないわね、脱ぐわけにいかないし、黒っぽいから目立たないわよ、踊ってるうちに乾くでしょ、などと周りの女性達がせかせかと世話を焼いた。
こういうパーティーの場では多方向からの異性の目を意識して、自分がどんなに心優しい人間であるかをぜひ見てもらおうと、多くの女性が普段よりもずっと献身的になる。