何故か頭の中で、ブルーハーツの『夢』が流れていた。
その瞬間、右指の異変からのことが走馬灯のように思い返された。そして、一粒二粒とポタリと滴を流したが、悲しい滴なのか、悔しい滴なのか、どうかは分からない。感情がないままに流れた。と同時にふと我に返った。
「てか、めっちゃヤバい病気っぽいな。ちゃんとした病名言わなかったし。これ重大な病気じゃん。ということは、仕事出来なくなっても、最低限の生活は国が面倒みてくれるやつかな。だとしたら、もう働かなくてもいいんじゃね? ある意味宝くじが当たったな。残りの人生謳歌するか!」
夕食もシッカリ食べた私は、ある意味ワクワクしながらその日を終えた。ただ、運動ニューロン病というニュアンスに引っかかっていた。
退院後、ちゃんとした病名も聞かされないまま月日が流れていた。生活は変わるどころか、前と全く変わらなかった。
強いていえば通院するのも、めんどくさくなって予約をキャンセルする日が増えていった。検査入院したにもかかわらず、運動ニューロン病という神経病の大きなくくりで分けられ、これからどうなるかまで、説明されたのにもかかわらず、まだ病名を告知しない病院と医師には、うんざりしていた。
翌年3月、病院から通院に来てくれと催促の連絡があり、仕方なく向かう。
この日は、暖かかった。どうしても冬場は寒くて身体が硬直してしまい右脚が動かしづらい。
ずーっと突っ張った感覚だ。だが、この日は春の訪れを祝うかのように暖かかった。
到着後、大きな病院というのもあり、待ち時間が非常に長い、行列の出来る店などに全く興味がなく、待たされるのが嫌いなセッカチな私は、この待ち時間の待つ長さも億劫である。待ちに待って診察室に通された。