今一度問う「戦争体験を語り継ぐ意味」

今年で戦後80年。

戦争体験者が少なくなっていき「戦争を知らない世代」が大半となった現代において、過去の戦争体験をいかに語り継ぎ、平和の尊さをどう伝えていくか——それは今を生きる私たちが直面している大きな課題です。

本記事では、戦争の記憶をそれぞれ異なる角度から描いた3作品を紹介しながら、「戦争体験の継承とは何か?」を問い直します。

詩、エッセイ、小説という異なる表現形式を通じて紡がれる“生の声”は、今を生きる私たちの心にも深く響くことでしょう。

空襲の夜と少女たちの記憶

戦争の一番の犠牲者は武器を持たない民間人でした。

男性の大半が兵隊として召集され国内に残ったのは女性と子供、お年寄りばかりでした。物資も少ないなか彼らは毎日を必死に生きていました。

更に戦争末期になると日本各地ではアメリカ軍による空襲が相次ぎました。空から降り注ぐ焼夷弾は容赦なく多くの命を奪っていきました。

『時をつむいで』の第13回では、筆者自身の終戦前日の空襲体験が、克明に、そして静かに綴られています。

学徒動員で大阪の造兵廠にいた筆者は、空襲警報のなか地下鉄駅へ逃げ込み、見知らぬ女子学生と手をつなぎながら恐怖の一夜を過ごします。炎に焼かれた街と、級友から手渡された“分け合ったお弁当”の記憶。そこには、戦争の非情さと、人と人との絆が同時に描かれています。

👉少女の視点で語られた戦争――響き渡る空襲警報、迫り来るB29…。造兵廠から逃げ惑うなかで体験した終戦前日の出来事と、忘れられない級友からのお弁当

少女の目に映る戦争の残酷さ。この体験は語り継がねばならない
 

詩が語る鎮魂と願い

先の戦争では多くの人たちが兵隊として召集され戦地へ向かいました。

その出征先は様々で中国大陸から東南アジアまで多岐にわたっています。

特に東南アジアでは戦闘以外に飢えや病気に苦しまされ、現地で亡くなった方も決して少なくはありません。

詩集『強く生きるには』は、著者・畠山隆幸氏が生涯の記録として綴った総括的詩集ですが、この中で「詩六篇」と呼ばれる一連の詩には、南方戦線で戦死した叔父への追悼、戦後の喪失感、そして“それでも生きる”という祈りが込められています。

👉戦争で身内を失った体験を綴る――【詩六篇】父の弟が南方で戦死 海軍巡洋艦に乗っていた…叔父は海底で何思う…叔父の写真は静かに在る 結婚もできず死んでいった

戦争で身内を亡くしたものの時勢により泣くに泣けない少年。この体験は繰り返されてはならない
 

戦争が終わってもなお続く苦しみ

戦争で日本を出たのは軍隊だけではありません。

戦時中、豊かな暮らしを求めて中国の満州へ向かう人たちがいました。中には家族ぐるみで移住した方も――しかし彼らは敗戦及び終戦間際の混乱により、或いは命を落とし、或いは命からがら日本へ引き揚げていきました。

小説『レッド・パープル』は、戦争が残した爪痕を“戦後を生きる人々の暮らし”から描いた群像劇です。第16回では、満州から引き揚げてきた一家が、戦後日本の極貧生活の中で懸命に生きる姿を描写しています。そこにあるのは、戦争が終わってもなお続く「生活としての戦争」です。

この作品は、戦時と戦後を断絶させずに描いている点が特徴的であり、戦争体験を「今」に引き寄せて考えさせてくれる重要な作品です。

👉戦争が終わってもなお体験談は続く――満州では欲しい物は何でも手に入るほど裕福な暮らしをしていたが、あることがきっかけで一家の暮らしぶりは一転し…

悲劇は戦争が終わってから始まった。このような体験談も忘れられてはならない
 

まとめ:戦争体験を記憶し、語り継ぐために

これら3作品に共通するのは、戦争を統計上の数字や歴史上の出来事ではなく、“人間の記憶”として描いている点です。生き延びた者の後悔、戦後を生きる苦しさ、恐怖の中に芽生えた小さな希望——それぞれの言葉が、時代を超えて語りかけてきます。

戦争を体験した人々の言葉は、時間が経つほどに、静かに、しかし確かに、私たちに届くことでしょう。

戦争は決して過去の話ではありません。

読むことで、感じることがある。
感じたことを、伝えることで、平和は守られていく。

戦争体験を知ることは、未来を守るための第一歩です。
ぜひ、これらの作品を通じて、あなた自身の“記憶”をつむいでください。

<今回ご紹介した記事の書籍情報はこちら>

・『時をつむいで
 著者:中村 良江

・『強く生きるには
 著者:畠山 隆幸

・『レッド・パープル
 著者:そのこ+W