花の香り――虚ろな意識の中で里見は気づいた。薔薇の香りだ。それに熱い温もりを近くに感じた。里見は覚醒した。ダブルベッドの自分の隣には裸の女性。長い黒髪が白い背中にかかっている。かなり酔ってはいたが記憶にないとは言えない。

柔らかな熱い肌の感触と、目映(まばゆ)い記憶がある。浮気は初めてだった。動揺が心の内側から湧き上がる。

なぜか妻に対する罪悪感は感じない、それよりもこの後どうなるのかという不安が、恐怖に近い感情に変化して押し上げてくる。

玲蓮が目を覚ます。ベッドから立ち上がるとキャビネットの上に置いた下着を着け始めた。目元には微笑が見えるが、着替え終わると冷たく厳しい口調で言い放った。

「約束よ、10時に迎えに来るから」

「どこへ行く?」

「昨日と同じ場所よ、私とあなたは二人だけの秘密を共有する仲。あなたは、もう逃げ出したりはできないの」

玲蓮は少し顎をしゃくり上げ、まだベッドにいる里見を見据えた。

「脅すのか」

「脅す? 私は、あなたに助けを求めているの」

「助け? もし断ったら」

「昨晩のことを少し伝えるだけ。奥様や、貴社の総務部にね。里見さんて娘さんが二人いらっしゃるんでしょ」

里見には返す言葉がなかった。

「シンプルなビジネスでしょ、あなたは人助けをする、私はあなたに感謝をする。私は準備があるから先に戻る」そう言うと玲蓮は部屋を後にした。

10時に黒塗りのベンツがホテルのエントランスに迎えに来た。

「わずか300メートルなのに」里見は呟くが、運転手の黒スーツの男は黙ったまま。

すぐに玲蓮のビルのエントランスに着いた。昨日は日も暮れていて気づかなかったが、建物は中華料理店というよりインテリジェンスビルといった雰囲気だ。

次回更新は6月21日(土)、22時の予定です。

 

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