太郎は、そう言いながら、僕の手にしっかりと千人針の布を握らせた。

特攻機に乗ってしまえば、待っているのは、〝死〟のみである。爆薬を積み、機体ごと敵の艦船に体当たりするのだ。乗ったら最後、生きて帰ることなどできない。

皆、それを分かっているので、出撃命令が下ると、家族や想い人などに手紙をしたためた。その内容は、死に逝く者の遺書である。

婚約者がいても赤紙が届き、結婚できないまま戦地に来て、「俺のことは忘れてくれ」と、涙しながら手紙を書く者。

戦地にいる間に妻が出産し、自分の子供を抱くことすらも叶わず、死の出撃をする者もいた。

それは、自分たちの死によって、日本にいる大切な人たちを守るという、強い信念があればこそ、だった。

僕たちは軍事教練で、軍人勅諭を学んだ。

「義ハ山岳ヨリモ重ク、死ハ鴻毛(こうもう)ヨリモ軽シト覚悟セヨ」

国に尽くすことは義務であり、山岳よりも重いのだから、動かしがたいものである。兵士一人の死は、鳥の羽根よりも軽いのだ。

「お国のために、命を捨てる覚悟をせよ」と。僕も、そう思っていた。

だが、実際に自分の大切な友が、特攻機に乗り込む姿を目の当たりにすると、疑念が頭をよぎる。

本当にこれが、正しいことなのだろうか?

僕一人が声を上げたところで、どうすることもできないことは分かっている。

今すぐ太郎に駆け寄り、手を取ってここから逃げだしたい。そんな衝動に駆られる自分を、必死に抑え込んでいた。特攻機のエンジン音が鳴る。一機ずつ順番に、明け始めた空に向かって飛び立つ。

編成を組み旋回し、戦闘指揮所のそばまで急降下すると機体を起こし、空の向こうの死地へと飛び去った。

別れは、あっという間だった。心臓が張り裂けんばかりの苦しさが、一郎から伝わってくる。太郎を失った後の空しさからなのか。

頭の中に白い靄がかかり、やがて無となった。

次回更新は6月20日(金)、21時の予定です。

 

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