第一章 患者急変
アラーム音がけたたましく響いた。
「千登勢先輩、どうしましょう⁉」
夜勤で一緒の、そして上司であるところの深美(ふかみ)千登勢に智美はすがるように声をかけた。看護師三年目とはいえ、この病院には来たばかり。しかも初の夜勤だ。まだまだここのシステムには慣れていない。
「当直医は小元(おもと)先生だったわね。すぐ呼んで!」
当たり前だが、アラーム音の意味するところは、患者の身体に異変が起こったということだ。心電図波形に乱れが生じていることがモニター越しにすぐに見て取れた。
〝心室性期外収縮(VPC)〟が散発し、このままでは〝無脈性心室頻拍〟、あるいは〝心室細動(VF)〟に移行する。
そうなるとほぼ心臓は止まっている状態と同じで、死は秒読みを迎える。神経疾患を専門にした病棟でしか勤務経験のなかった自分にも、それくらいは判断できる。
「はいっ、わかりました!」
すぐに、今晩の当直医であるところの小元をコールした。
三日前に入院したこの患者、田所渉(たどころわたる)さんは七二歳の脳梗塞だった。若いという年齢では決してないが、超高齢というほどでもない。このくらいの年の患者の治療が一番悩ましい。
梗塞自体はそれほど広範囲というわけではなかったから、順調に回復すれば……、車いす生活はもしかしたら避けられないかもしれないが、再び自宅に戻って療養することはできるかもしれない。
病変部位は右脳だったので、言語に影響することもない。実際、主治医の小元から家族にあてた病状説明によって、田所さんへの治療方針は、できるだけのことをしていくということになっていた。
だから……、つまりは全力を尽くして救わなければならない。
「智美さん、救急カート、すぐ持ってきて!」
千登勢先輩からの指示が飛んだ。
〝救急カート〟、すなわち、緊急薬品やバッグバルブマスク、気管内挿管セットなど、救急処置にかかわる一式を収めたキャスターつきの格納ボックスである。
処置室に置かれていたので、私はすぐにそれを引っ張り出し、四〇三号室へと走った。部屋にはうめき声を上げながら苦しそうにしている田所さんの姿があった。
「うわっ、どうしよう!」
夜勤は二人体制だから、ここの病棟には、いま千登勢先輩と自分しかいない。だから、当然だけれど、二人でなんとかするしかない。
先輩は頼りになる憧れの上司だが、私だってなにかしなければ……、なにかの役に立たなければ……。そんな焦りからか、汗がいっきに噴き出した。
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