隣のテーブルに座るご婦人が私に話しかけてきたのだ。確かに彼女も黒い毛皮を着ていたが、私の毛皮よりも安っぽく、髪を紫に染め、チェーンの付いた眼鏡をかけ、派手な赤い口紅を塗っている。体格が良く、六十歳前後と思われる。テーブルの上には、携帯電話とマイルドセブンを二箱、小さなラジカセ、ランチメニューのハンバーグセットと、自分で持ち込んだと思われるエビアンのペットボトルが置いてある。

「ごめんなさいね。うるさくないかしら? 私ね、音楽大好き! 煙草も大好き! いつも台所の隅に置いてある椅子に座ってね、このラジカセで音楽を聴きながら煙草を吸うの。

私、寂しいのよ。誰も構ってくれないからね、寂しいのよ。主人はね、私に暴力を振るうからいつも台所へ逃げるの。そして主人が酔い潰れて眠った後、このラジカセで音楽を聴きながら煙草を吸うの。

私ね、身体を壊して入院していたのよ。先生がね、栄養を取らないと駄目だって言うのよ。だからね、週に一度この店に来るの。そしてハンバーグを食べるのよ。身体の調子が悪い友達にも勧めるのよ。ハンバーグを食べなさいって。音楽はね、何でも好き! シャンソン大好き! ジャズも大好き! クラシックも大好き! ロックも大好き! 私、音楽大好き! 煙草も大好き! お姉さん、その煙草メンソール?」

「そうです」

「あら素敵! 私はいつも馴染みの店で煙草を一日二箱買うの。マイルドセブンよ。店長さんがね、いつもお礼を言ってくれるの。たまに飴をくれるのよ。ほら、この飴。ビタミンCの飴よ。お姉さんもこの飴を舐めなさい。喉がスーッとするわよ」

「ありがとうございます」

「読書の時間を邪魔しちゃってごめんなさいね。このラジカセ邪魔じゃないかしら?」

「気になりませんよ。私も音楽が好きですから」

「良かった! お姉さん、薄化粧ね。口紅を塗っていないのね。黒の毛皮には赤い口紅が似合うのよ! 赤い口紅を塗りなさいよ」

「そうですね」

「お姉さん、旦那さんはいるの? 旦那さんは何のお仕事なさっているの?」

「独身です」

「あら素敵! お姉さん独身でいなさいよ。結婚なんて虚しいわよ。私が何をしたって言うのよ。私なんてアザだらけなのよ。私の話なんて聞いてくれやしない。酔って帰ってきて私を殴って寝るだけ。結婚なんて虚しいだけよ。お姉さん、結婚なんてしちゃ駄目。独身でいればいいの。もったいないわよ。とっても素敵な人が現れたら、そのとき考えればいいのよ」