日本人のとりあえずの幸せ
私の習慣は、朝食の後、居間のソファーに寝っ転がって、新聞を読む事である。私は、その時を「至福の時」と呼んでいる。少なくとも一時間、時に昼食時間まで読み続ける事もある。
だから、私の主な情報源は「新聞」という事になる。加えて、随時テレビのニュースとネットのニュースが加わる。私は自分自身で「ニュース狂」と思っているが、誰に指示された訳でもなく、それが何だ、と言われればそれまでだが、ただ単に「今、世の中で何が起こっているか、知りたい」というのが私の習慣の元である。
「至福の時」と感じる所以は、一切の雑事を忘れ、「記事」という窓を通して、世界の森羅万象を知る事にある。私は日本も、日本人も、大好きだが、私のもっぱらの関心は、日本の、100年後、300年後、1000年後の日本が何とか命脈を保ち、日本の国土の中で、日本人として、存在する余地があるかどうか、である。
1000年後と言えば「源氏物語」の書かれた平安時代から現在の日本を想像する事に等しい。実の所、その姿を想像しようとしても無意味であり不可能だと言える。それよりも、その1000年先に向けて、日本が命脈を保つ為に、今何をすべきか考えた方が良いのかもしれない。
日本の今の状況を考えると、真に心もとなく、非常に「脆弱」な存在だと見ている。その「脆弱」な存在でも、自らの弱点・欠点を知り、それを対処し克服出来れば、解決は可能ではないかというのが私の思いだ。
もう一つ、生き残るために大事な事は、「変わる」事を厭わない気持ちだ。国も、会社も、個人も長期に渡り生き残る為には、自分の主義主張とは違っても、「変わる」事が必須となる。
丁度今、日経の「私の履歴書」でアメリカの投資会社KKRのヘンリー・クラビスが当時の事を振り返って、いみじくもこのように書いている。「日本の企業風土は『We can't(出来ない)』『変わりたくない』。
しかし私は、居心地の良いコンフォートゾーンから出て初めて成長する、と信じている」と。この事は世界の中で、100年存続している企業で言えば41・3%、200年企業で言えば65%が日本の企業だという事からも大多数の組織が変えたくない、変わりたくない、と考えていると推し量る事が出来る。
多くの100年・200年と続く企業の存在を、ただ単に「良し」とするのか、環境が大きく変わる、これからも存続し続けられるのかは、分からない。
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