その年の真冬の荒川土手。この日もバント練習に明け暮れていた私だったが、練習の際バットをバント構えして打席に入って、いざバントモーションに入った際に目測を誤り、あろうことかボールがバットを握っていた右指に命中。真冬の土手で指が悴(かじか)むほどの寒さの中で指に命中した。私のバント人生はここで終わった。
余りにも痛くて寒くて、涙が止まらなくなった私はバッターボックスでバントの構えを行うと、コーチから腰が引けてるぞと指摘されるまでに落ちぶれ、完全にトラウマに襲われ、それ以降、川相の打席に一喜一憂することもなくなった。
6月の梅雨時、今年の初春にあのジンジンとした感覚に陥って以来、右手は深刻な状態になっていった。ハサミを握る手にもチカラが入らず、字を書くためにはペンの持ち方を変える必要があった。もちろん箸の持ち方も例外ではない。まあ、ペンも箸の持ち方も元々おかしかったので、自分的にはさほど気にならなかったが、あからさまに、右手の甲の1箇所が凹んでいるのは誰が見ても気付くものだった。
得意料理はブリ大根、と合コンでウケを狙いつつ、半ば本気で語っていた料理ですら手をつけなくなっていた。一度の恐怖心をなかなか克服できない私は、好きだった料理でやらかした。
上手く握れない手で包丁を扱った際に、変に右手に気をとられていたため、ジャガイモに添えた左手を思いの外深く切った。昔図工の時間でザックリ指を切ったが、それ以来の切傷だった。その際、ふと真冬の荒川土手が脳裏に思い起こされた。
「ああ、もう料理したくねぇや」
明くる日からアパートの向かいのコンビニが我が宅の冷蔵庫と化す。この時点で病院に行けばいいのだが、病院嫌いで薬も飲まず自然治癒に頼る私には、その選択肢は微塵もなく、日に日に支障をきたす右手の違和感をアルコールで紛らすため、夜な夜な行きつけのBARへ酒と音楽を浴びに出掛けた。
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