僕は咄嗟に彼に駆け寄り、鹿の前に立ち塞がった。鹿せんべいを手に両手を広げ、真っ直ぐに潤んだ鹿の目を見つめた。

(君の無念は分かっている。苦しかったよな。でも、この人は、君を殺した落ち武者じゃない。優しい人間に生まれ変わってるんだ。だからもう、あんな悲劇は起こらない。君はここでずっと幸せに暮らせるんだ。大丈夫、大丈夫だから)

心の中で必死に語りかけた。だが、自分を殺した相手を許すことなどできないのだろう。鹿は僕の目をじっと見つめ続ける。

「あの鹿に、謝ってみて」

後ろにいる彼に言ってみる。現世で謝るようなことをしたわけではないが、鹿への恐怖で思考停止中の彼は僕の横に立ち、「ごめんなさい」と、鹿に頭を下げた。すると鹿は、一瞬うなだれた後、顔を上げゆっくりと僕たちに近寄ってきた。

落ち武者だった彼が素早く僕の後ろに隠れると、鹿は僕の手にあるせんべいをくわえ、仲間のもとへとゆっくりと戻っていった。

「光くん、助かったよ」

背後で震えていた彼が、胸を撫で下ろした瞬間、僕の周りに人が集まってきた。

「光くん凄い! 鹿と話せるの?」

クラスの女子が騒ぎ立てる。

「いや、まさか。話せるわけないじゃん」

僕は慌てて首を振った。前世の姿は視えても、さすがに鹿と話すことはできない。

「あなた、凄いわ! 綺麗な顔立ちなのに男気があるのねぇ」

見知らぬおばさんたちが、次々に僕の手を握る。綺麗な顔と男気に何の関係があるのか、僕は苦笑しながら人の輪から逃れた。

「光くん、待ってよ」

落ち武者の彼が追いかけてくる。