小っちゃい人間

私は、自分が小っちゃい人間だと自覚する場面が度々ある。殿様のように鷹揚に振る舞える成熟した人間になりたいのだが、現実は些細な事柄に拘って心をもんでいる。

例えば、八百屋さんで籠に盛られているトマトは、ひっくり返して確認しないと気が済まない。食べ放題のレストランでは、元を取れたか勘定しながら食べてしまう。最たるものは、旅館で出された食べきれない料理を、勿体ないからと必死で食べ、後日病院のお世話になるケース。却って高くついたこともある。

「食べきれないなら残していいよ」と言える大人に、もういい加減にならなければならない年齢なのだが、手も付けてないような刺身の船盛が廃棄されるかと思うとやりきれない。

こうして考えてみると、殆どが食にまつわる事例である。本能である食欲を未だに自分でマインドコントロールできない人間だという証である。卑しいとか、浅ましいとまで言わなくても、「小っちゃい人間だなぁ」と落ち込んでしまう。

もう一つ、どうしても乗り越えられない事例がある。昼食を牛丼で済ますことがあるのだが、並盛を頼んで出てきた丼を見て思わず突っ込みたくなる時がある。「これはないやろ!」お肉の量があまりにも少ない時である。

アルバイトの店員が変われば、微妙に量も変わる。「きちっと、計量して盛れよ!」あぁ嫌だ嫌だ。なんて小っちゃい人間なのだろう。

 

 

👉『おっさん絵ッセー』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】マッチングアプリで出会った男性と夜の11時に待ち合わせ。渡された紙コップを一気に飲み干してしまったところ、記憶がなくなり…

【注目記事】服も体も、真っ黒こげで病院に運ばれた私。「あれが奥さんです」と告げられた夫は、私が誰なのか判断がつかなかった