写真を拡大 図7小林家の家系図著者作成
 

第4章の図7(家系図)も参照してください。「母の語る小林多喜二」では多吉郎の妻は「田山つね」となっています。先妻の旧姓(田山)は正しいのですが、名前の方が後妻(ツネ)と入れ違っています。2人を混同しているからです。

手塚英孝の「小林多喜二」では多吉郎の先妻が「オヨ」、後妻が「ツネ」となっています。後妻「ツネ」は正しいのですが、先妻「オヨ」は間違いです。

この理由は不明ですが、セキが「オユキ」と言ったのを手塚英孝が「オヨ」と聞き違ったのかもしれません。また慶義の妻については「浅利ツル」となっています。旧姓の「浅利」は正しいのですが名前の方(ツル)は間違っています。

いずれにしてもセキから手塚英孝と小林廣への説明が曖昧だったためと思われます。これらは多喜二研究者にとってはどうでもいいことでしょう。しかしながら、この種の間違いはずっと引用され続けることになります。これらを本書で正したいと思います。


1 蔵原惟人、中野重治『小林多喜二研究』 解放社 1948年

 

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