この日、塾講師が、雑談のついでに隣町にある美術館について話をしてくれた。実家のある埼玉県に「なぜ、そんな美術館が」と思うのだけれど、広島の原爆を描いた絵や写真が展示されているのだ。僕は、「そんな美術館が身近にあるんだ」というくらいの認識しか持たなかったのだが、彼女はちょっと違っていた。

クルっと僕のほうを振り返り、開いていたテキストの端っこに、そっと、「行ってみない?」と書いてきたのだ。一瞬何を言っているのか理解できなかったので、その下の空欄に、僕は「どこに?」と返事を書いた。

「ま・る・き」

それは正しく言うと、『原爆の図 丸木(まるき)美術館』のことで、原爆投下後の広島の惨状を目の当たりにした水墨画家の丸木位里、油彩画家の丸木俊・夫妻が共同制作した連作「原爆の図」を常設展示する1967年開館の美術館だった。

もちろん行かない手はない。僕は、この日のために有名スポーツメーカーのTシャツと靴下とを買い、自転車をきれいに磨いた。確か初夏のころだったと記憶している。

はじめて行く場所に対してどうやって道順を調べたのか、はたまたどうやって日程を合わせたのか……、もっと言うと、美術館の展示物の内容なんてものもほとんど覚えていない。原爆の絵や写真だから、こう言うと語弊があるかもしれないが、中学生の僕にとってはあまり気分のいいものではなかったと思う。

その日が晴れていなかったら、おそらく沈んだ気持ちになったのではないか。

帰りは少し遠回りをして、途中、〝都幾川(ときがわ)〟の土手で自転車を止めた。芝生の上で、二人で寝そべって空を眺めた。少しまぶしかったけれど、気候的にはちょうどよかったから、やはり夏の始まりだったと思う。

僕は、ゆったりとした雲の流れをひたすら目で追っていた。緊張してほとんどしゃべれなかったが、無理やり絞り出した言葉として「気持ちいいね」ということだけは想い出の片隅に残っている。

その後、食事くらいは誘ったのか、どうやって別れたのか、何時ころに帰宅したのか、そんなものも残っていないが、大きくヘマをやらかしたような記憶もない。結局僕は、ただただ彼女のリクエストに対する義務を果たしたようなデート(もどき)だった。

でも、それをきっかけに、彼女は少しだけ親しく話をしてくれるようになった。

林間学校のバスのなかではわざわざ移動して、僕の隣の補助席に座ってくれたこともあった。このときの想い出は、僕のかぶっていたベースボールキャップ姿を「カワイイ」と誉めてくれたことだ。お菓子を分け与えながら食べた覚えもあるが、やはり会話の内容は忘れてしまった。

いま考えると、男子として見てくれていたとは到底思えない僕の一方的な恋だった。

 

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