糧(かて)

日常において、動植物から学ぶことは多い。

ブルーベリーの樹を育てるうちに、水はかかせないことを思い知らされる。当たり前のことながら、連日35℃を越える猛暑日とあっては、雨降りのありがたさが身に沁みる。

肥料はやればやるほどいいわけではなく、適量をタイミングよく施さなければならない。そんなことは常識だ、と植物に詳しい人や農家は言うだろう。

植物は地球温暖化の現象をかなり前から示していた。栽培品種の北限が年々北上していくことに、農業に携わる人々がいち早く気づいたはずだ。

以前は生息していなかった動物が現れたり、亜熱帯の帰化植物が繁茂したり、現実は容赦がない。二度目の子育て中の燕らは、雛の飛行訓練に余念がない。

軒先の巣から乗り出した五羽の雛。さっと手を振ると、親鳥と間違えて一斉に黄色い口で大合唱していたのが、いつの間にか知恵もつき、体力も充実して巣立ちの時を迎えている。

中には空中へ飛び出したものの、あえなく墜落する雛もある。まるで泳ぎを覚えたての小学生のように、やたら手足を動かすのだがうまく前に進まない、そんな様子で雛たちは羽をばたつかせ、ぎこちなく低空飛行を試みる。

日常のささやかな場面に心が温まり、時には教訓を得、それを人間は日々を生きる糧とする。収穫をもたらしてくれた植物には礼肥を、巣立っていく燕らには、旅の無事を祈る。

(二〇〇七・八)