戦争という、人類特有の悲劇は、どのようにして始まったのでしょう。戦争という、極めて非人間的な行為が、極めて人間的な事件として世界史に立ち現れてきたからくりにも、人間の本質が関わっています。

同胞のために身命を賭けよ!というスローガン。戦争の場合には例外なく権力者の側から掲げられるこのスローガンが、人々の心を突き動かし、涙を拭ったその手に、容易に武器を握らせることができたという、からくりがあります。

飢餓に強い身体が、過栄養に対する防御方法を身につける間もなく、豊富な食材を前にして、身体のメタボリックシンドロームが蔓延し始めたのは、ごく最近ですが、これよりすでに一万年ほど前から、もっと深刻な、心のメタボリックシンドロームともいうべき疾病症候群が、始まっていたと考えて間違いありません。

農耕・牧畜の発明とその発展によって、人類は、人一人の生産性の飛躍的拡大を実現しましたが、こうして得られた有り余る富の蓄積をまえにして、その正しい分配方法を身につける間もなく、人類は、進化史の末尾わずか一万年の間に、貪欲という心の病に深く冒されたと考えていいと思われます。

心のメタボリックシンドロームの、主たる症状は、まず、自己および自己の仲間による寡占のための権力肥大化への情熱という貪欲。つぎにこの貪欲を、大規模な搾取の手段たる戦争によって充足させる、という行動異常。

そうして、現代に至っては、国際資本の牙城、軍需・石油産業複合体が体現するごとく、この行動異常を、容易に制御できず、かえって、戦争・内乱・クーデター・民族対立・宗教対立……ありとあらゆる権力間闘争を、欲し、期待し、画策までする、という、戦争依存症候群。

この最後の戦争依存症候群は、現代における心のメタボリックシンドロームを世界史的規模で特徴付ける最も顕著な主徴といえると思われます。

身体のメタボリックシンドロームに対する対策もとても重要ですが、個々の個人を超えて広がる心のメタボリックシンドロームに対する対策は、人類の幸福にとって、真に重要であると、精神科医である私は、新年にあたり、僭越ながら考えてみております。……」。

右の文は、平成十九年(二〇〇七年)の某市医師会報に「亥年生まれの年賀状」と題して稿を求められ寄稿した筆者の拙文のほぼ全文である。