〇十二神の祭壇

アゴラの北側に、僭主ペイシストラトスの同名の孫によって、前522年に奉納されたと伝えられる「十二神の祭壇」の遺構が残っています。1934年にその一部が発見されて、この地がアゴラであることを確実にした重要な遺構です。

アゴラの最初の宗教的施設で、この祭壇は命乞いをする人々が、神々にすがって救いを求める場所であり、また、アテネ郊外のアッティカ地方の距離を測る際の起点となる道路里程標の役割も果たしていました。まさしく、アゴラの中心としての機能を担っていました。

 
 

〇ホロス(境界石)

アゴラは、前6世紀末に神聖で公的な空間として、その境界が明確に示されることになりました。

「我はアゴラのホロス(境界石)なり」と刻文されたアゴラのホロス(境界石)は、神聖かつ公的な本来の「広場」としてのアゴラを守る役割を果たし、兵役を拒否した者や親を虐待した者などは、その内側に入ることを固く禁じられました。

 
 

「我はアゴラのホロス(境界石)なり」の刻文は、上端の右から左へ、そして左端で上から下に続いています(高さ1m程)。