第二章 人生を大きく変えるベネチア旅行

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2週間くらい過ぎても無気力な状態が続いた。母のことももっと知りたくて、段ボール箱に沢山あった薬膳のレシピ・ノートを出してきて、作ってみる。

母のレシピは、体調や持病に合わせてアレンジできるよう工夫されていた。生徒に教えるためだと思うが、他の人が作るにしてもすぐ作れるようにわかりやすく書かれている。

試しに作ってみようとノートをパラパラめくっていると風邪をひいた時によく作ってくれた卵スープがあった。これは懐かしいと思って、作ってみることにした。

ノートの通りに具材や調味料も用意して、作ると簡単に母のレシピを再現できた。それを食べると、世にいうおふくろの味を感じて、食べながらどんどん涙が出てきた。

台所で料理をしている母の後ろ姿、僕に料理を出して美味しいと言った時の母の笑顔などを次々と思い出した。

そんな生活を過ごしていたある日、ベネチアから英文の手紙が届いた。正確にいうと、招待状だ。マルコ・ポーロのファミリーパーティーと書いてある。パーティーの期日は3週間後。

ひどい冗談だと思ったが、航空機の往復のチケットとホテルの予約確認書が同封されていて、冗談ではないことはわかった。それにしても、誰が、なんのために僕にこの招待状を送付してきたのか、全く理解できない。

自分は冷静なつもりだが、心はざわついていて、思考回路が止まったようだ。気付くと京子にメールしていた。

京子がやってきた。

「どうしたの? 急に家に来てなんて」

「自分でどうしたら良いのかわからなくて」

「どうかしたの?」

「ベネチアからこういう招待状が来た」

京子に招待状を渡す。

「不思議な招待状ね。行くの?」

「何も考えられなくて、京子と話したくなったんだ」

「行ってみれば?」

「マルコ・ポーロファミリーのパーティーってなんだよ。意味がわからないし、イタリア語は全くわからないし、英語でさえうまくないし、でも行ってみたい気持ちもある」

「私が一緒に行ってあげるよ。英語もできるし」

「本当に? 京子が一緒に行ってくれるのは心強い! でも飛行機もホテル代も1人分だし……」

「パパに話したら、出してもらえると思う」と言う京子を見て少し落ち着いてきた。

「それなら、やっぱり行ってみたい」

「パパにすぐ相談するわ」

「ありがとう」

 

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