【前回の記事を読む】家系図を辿ったら、本当にマルコ・ポーロに行き着いた――僕は亡き父が遺した謎を追うことに

第二章 人生を大きく変えるベネチア旅行

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第5代の皇帝フビライ・ハンは、1271年にモンゴル帝国の国号を大元と改名した。フビライ・ハンは、モンゴル文化や制度を変え漢民族がなじむ文化や制度を作った。それによって、モンゴル帝国を長く統治できたのだ。

彼は1271年から1294年まで皇帝として君臨する。そして、中国文化を中央アジア、ヨーロッパへ、さらにヨーロッパ文化や中央アジア文化を中国へという交流を作った功績は大きい。そこで文化だけでなく商業が生まれた。

そういう文化や商業の交流の一翼を担ったのが、ポーロ家だったのだろう。特にマルコはフビライ・ハンの大のお気に入りとなり要職に就いている。

研究部屋に行き、父の日誌と資料を見る。

ドアのベルが鳴る。

「お昼食べた?」京子が弁当を持って入ってきた。

「まだだよ」

「やっぱり。健の好きなから揚げ弁当買ってきた」

「ありがとう!」

「どう?」

「僕がマルコの末裔というのは、何日経っても信じられない」

「それはそうだよね」

「絶大な権力を持ったフビライに気に入られたマルコが中国人妻を娶ったこと自体は自然だとは思う」

「今よりも寿命が短い時代に24年間もいたんだもんね。何歳からいたんだっけ?」

「17歳から41歳までかな」

「それなら絶対奥さんがいたはずよ」京子が確信ありげに言う。

「そうなんだよ。そして、2人に子供ができ、その子孫が日本に移住したというのもありうる話だとは思う」

「普通に考えられる話だよね」と何かを想像するように京子がゆっくり話す。

「でも感覚としては追いついていないんだ。もっと調査を進めないと納得できないな」

頭で理解できても気持ちはすっきりしない。

「次はどうするの?」