母からの最後の手紙
手元に、私の宛名書きだけで、中身の入っていない封筒が残っている。母からのものである。
母は筆まめで、その母に似て私も手紙を書くのが好きである。一時期よく母娘で文通をしていた。多い時で週に二回は出し合っていた。私はハガキに自分で撮った写真を印刷してひと言添えて出すことが多かったが、母は必ず封書で返事をくれていた。
九十七歳で逝った母は晩年施設のお世話になっていたが、私からの便りを楽しみにしていてくれたようだ。母と私は趣味が似通っていて、関心を持つことが共通していた。母の影響で私も俳句を詠むようになったし、母にカメラの手解きをしたのは私である。「こんな本どーお」と母から送ってくることもあった。新聞の切り抜きが入っていることもあった。
そんな母も、次第に手紙を書く回数が減っていった。小さな字が見えづらく書きにくい、筆圧が弱くなってペンを握れない、漢字が出てこない。一時期鉛筆書きの手紙が届いていたこともあった。
ある年の十二月下旬、母から封書が届いた。多分母は九十代になっていたと思う。弱々しい筆跡だが、一生懸命宛名を書いた様子が窺える。
開封したが中身は空だった。母からの手紙は生前それが最後となった。
私の想像だが、私への誕生日プレゼントとしてお祝いのお金を送ったつもりではなかっただろうか。宛名を書くのがやっとで、中身を入れたか、メッセージを書いたかも忘れてしまったのだろう。それまで、恒例のように誕生日にはカードやプレゼントが届いていた。
封筒だけの母からのプレゼントは何にも入っていなかったけれど、母の愛がいっぱい詰まっているように思い、捨てられなかった。
母は人生の終わり頃には、訪ねていった娘に「どちらさん?」と聞くようになってしまっていたが、母らしい生き方で「大往生だったね」と姉妹で話している。そんな母に似れば、まだまだ私も長生きできそうである。