父の仕事は田舎ではほとんどなく、東京で仕事を見つけてくると言って、上京した。東京オリンピック開催の四年前である。
また兄弟だけの生活が始まった。だが、父は仕事を休んで一ヶ月ほどで戻ってきた。その頃の東京は建築ラッシュであった。父は東京で仕事は見つけたが、私達をすぐに東京に呼ぶことはできない、だが一緒に仕事をしている人の親戚が隣村にいるという。
そこで私達を預かってもらうように話はついていると、言った。父は二日以内に私達を隣村に連れて行かねばならなかった。
私と苦楽を共にした犬のクロとの別れがきたのである。私の人生で終生忘れることのできぬ名状しがたい別離の苦悩が、犬のクロによって体験させられることになった。父はクロを可愛がってくれる家に引き取ってもらうから心配するなと言った。
父は知り合いから子犬をもらってきた。黒い犬だったのでクロと名付けた。
子供の私は自分の分身のように可愛がった。毎日学校から帰ると暗くなるまで遊んだ。
ある日学校から帰ると、クロの姿がどこにもない。父は「犬殺しに、持っていかれたんだろう」と言った。当時、保健所の依頼で野犬狩りを職業とする人間のことを「犬殺し」と呼んでいた。
悲しむ私に父はまたもらってきてやると言った。私はまだ大人になっていなかったクロがかわいそうであった。両親が離婚する前に、父は前と似た犬をもらってきた。全身の毛が黒い雑種だったが、手足の先と目の上だけに白い毛があった。
名前は前と同じクロにした。学校に行っている間は、犬殺しに持っていかれないように縄で家の中に縛っておいた。学校から帰ると縄をほどいてじゃれて遊んだ。クロはころころとしていて、歩き方もよたよたであった。
半年もすると自分を縛っている縄を簡単に噛み千切るようになった。私が家に近づくと走って迎えに来た。私は縄紐が無駄だと分かってクロを縛らなくなった。クロは身体は小さかったが、すばしっこく賢かった。
一度だけ犬殺しと対決していたクロを見たことがあったが、犬捕縛(ほばく)が専門の相手では時間の問題であったであろう。「うちの犬だ!」と私が止めると、ちぇっと舌打ちして二人は去った。
首輪のない犬は片っ端から捕まえていたのである。
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