序章 谷川一郎の故郷

埼玉県熊谷地方

関東地方の中ほどに位置する埼玉県熊谷市。ここから北に向かって約3里。国道4号線上に妻沼(めぬま)という町がある。この町の北を流れる利根川を境に、南側は熊谷市、北側は群馬県太田市と分かれており、埼玉県側の一番北側に位置する所が妻沼である。

この町はどこにでもあるただの田舎町。以前は大里郡妻沼町と呼ばれていたが、今は合併して熊谷市妻沼となっている。

この妻沼の長井の庄は、白髪を染めて出陣したという郷土の勇将、斎藤別当実盛公のゆかりの地であり、その実盛公が出陣の際に戦勝祈願を行ったと言われる聖天山(しょうでんざん)が町の中央に鎮座している。

地域の人達は、ここを聖天様と呼んで故郷の誇りと崇拝して来た。神社の奥殿には、かの有名な彫刻家、左甚五郎の彫り物などが飾られ、国宝にも指定されている。

春と秋の大祭には境内にたくさんの出店が立ち並び、近在からやって来る老若男女によって大層な賑わいとなる。

またこの地は、熊谷次郎直実公、畠山重忠公など、武勇の誉れ高い武将も多く、日本の女医第一号である荻野吟子はこの町の俵瀬地区の出身。日本資本主義の父と呼ばれ、新一万円札の顔となった渋沢栄一は、隣の深谷市の出身である。

谷川一郎は、その聖天様から北へ数百メートルほど入った利根川にほど近い、古い農家の一軒に生まれた。日本が太平洋戦争という大きな不幸に遭遇した翌年、昭和17年4月1日、谷川家の長男として産声を上げたのであった。