5. 度会延佳(わたらいのぶよし)の注釈と本居宣長(もとおりのりなが)の評価

『古事記』の冒頭「高天原」の訓注に従うなら、「たかアマはら」もしくは「たかアマノはら」と訓ずべきはずであるが、前述のように、本居宣長の『古事記伝』などでは消音の法則に従って「タカマノハラ」と訓じている。

しかし、『古事記伝』以前の延佳本注4などには「タカアマノハラ」と、訓注に従って訓じている例もある。

『古事記』の伝本は、伊勢系諸本と卜部系諸本とに大別できるが、延佳本は、数種類の伝本を校訂したもので、版本の主なるものである。延佳本は、正式には「延佳神主校正、鼇頭古事記(ごうとうこじき)」といい、伊勢外宮の権斑宜(ごんねぎ)であった度会延佳(わたらいのぶよし)[元和(げんな)元年(1615)~元禄三年(1690)]が校注を施して、貞享四年(1687)に刊行した書である。

臨済宗の僧侶であった山崎闇斎は、後に儒者となるが、この度会延佳から伊勢神道を学び神道に傾倒した。闇斎は、さらに吉川惟足(よしかわこれたり)に学び、神儒を総合帰一して独自の垂加神道を唱えた。後世の尊王運動に影響を与えたことでも知られる。

西宮一民は、「古事記全巻の訓読は、寛永板本[三巻(寛本)](寛永二一年〈1644〉刊)から始まり、度会延佳の『鼇頭古事記』[三巻(延本)](1687刊)を経たのち、本居宣長の『訂正古訓古事記』[三巻(底本)](享和三年)〈1803〉刊)に到って、一応完成した」と説いている注5

また、延佳本は、『古事記』注釈書の中でも善本との評価がある。

丸山林平は、「延佳は、ある意味においては、宣長にも匹敵すべき国語学者であり、諸本を校合して本文を定め、片かなで訓を施しているが、延佳は、まだ、宣長のころの国学者の悪風には染まっていず、『豐古』『豐売』などを『ヒコ』『ヒメ』と訓じ、『角』『野』『楽』などを『ツノ』『ノ』『タノシ』などと正しく訓じている。

また、頭注には、『開疑聞之誤』とか『弘仁私記序云』とか『旧事紀云』、『日本紀云』、『万葉集云』、『神名帳云』、『姓氏録云』、『和名鈔云』、『延喜式云』、『諸陵式云』などとしるし、その学殖の深さを示している注6と高く評価している。


注1 『定本古事記』丸山林平講談社

注2 『例解古語辞典』p626

注3 いわゆる「若者言葉」に「あざす」があるが、公式な場面では使わない。いっぽう天皇陛下を「天ちゃん」と略す大人もいる。現代の日本人は、皇室(王室)の歴史と意義、陛下、閣下、猊(げい)下(か)等の意味と役割について教育されないままでいる。「陛下」は天皇(皇帝・国王)および皇后・太皇太后・皇太后の尊称、「殿下」は皇族・王族の敬称、「猊下」は高僧や一宗の総裁・盟主・管長の敬称、「閣下」は政治家や大使など高位高官の人や旧勅任官や将官以上の軍人に付ける敬称(大統領閣下、将軍閣下等)など、歴史と伝統を有する国では、その階層や立場を表現することは国際的な常識である。

注4 『古事記』上、中、下巻/太安万侶[撰[:度会延佳校正山田(伊勢):講古堂、貞享[1687]跋

注5 『古事記の研究』西宮一民p48‌3‌

注6 『定本古事記‌』丸山林平

 

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