#1
何かきっかけがあったとすれば、アレしかない。
私、北田千鶴(きただちづる)が西海十李(さいかいとおり)と会話らしい会話をした、あのとき。
春休み中の補習の帰り。廊下に誰かが立っているのが遠目に見えた。
西海十李。人気のない廊下に立っているだけで絵になる、容姿に恵まれた同学年の男子生徒だ。しかし、どうして彼がここにいるのだろう。学年一の秀才が、まさか補習を受けに来たわけじゃないだろう。
彼はこちらに気づく様子もなく窓の外をじっと見つめていた。その目がなんとなく気になって、私は西海の視線の先を追う。
視線の先はグラウンド、そこにいたのは部活動中の南百華(みなみももか)と東堂一彦(とうどうかずひこ)。うちの高校一の美男美女カップルだ。
私の記憶が確かなら東堂と西海は友人関係だったはず。しかしグラウンドを見る西海の目が優しくて、それでいて切なくて、こう言ったらなんだけど友人に向けるような眼差しには見えなかった。
そこで私は東堂の隣に南百華がいたことを思い出す。彼女と直接話したことはないが、それでも噂くらいは聞いたことがある。基本的に良い噂。
美人で性格が良く、入学当時は毎日のように男子たちから告白されていたらしい。少女漫画の主人公か少年漫画のメインヒロインだ。
もっともそれは、顔良し性格良し運動神経良しの爽やかイケメン東堂一彦と付き合う前の話だが。完璧と完璧が合わさった理想のカップルの間に割り込む度胸がある猛者(もさ)は今のところ現れていない。
つまり何が言いたいかっていうと、西海は南百華のことが好きなんだろうってこと。
そして東堂に敵わないと思ったのか、はたまた彼に遠慮をしているのか、その気持ちを胸に秘めることにしたのだろう。
「……何か用か?」
「えっ?」
三角関係を勝手に妄想していると、窓の外を見ていた西海がいつの間にかこっちを向いていた。不審者を見るような目で私を見てくる。
咄嗟に言葉が出てこなかった。
だって西海のほうから私に声をかけてくるなんて思ってもみなかったのだから。東堂の友人で、成績は常に学年トップ。
切れ長な目を中心にバランスの取れた顔立ちはクールでミステリアスな雰囲気がある。東堂と違って不愛想な印象があるから表立って騒がれることは少ないが、女子からはそれなりの人気がある。
それに対して私は所謂オタクで、クラスでも必要以上に目立たないように心掛けて生活している一般人。
住む世界が違いすぎて卒業まで話すことなんてないと思っていた。そんな別世界の住人に突如として話しかけられて、補習で疲れきった私の頭は軽いパニック状態に陥る。