当時、大西洋横断飛行は、ほとんどが夜行便だったため、到着後はぐったりし、空港からホテルバスに揺られているうちに、引きずり込まれるように居眠りしてしまうのです。
ところがローマだけは別でした。バスが待ちに入ると、寝不足でぼんやりした頭が生き生きとしてくるのです。ホテルにチェックインしても、寝るのが惜しくなり、まず一歩、街に踏み出したくなります。
時差ボケですっきりしないときでも、一歩ローマの街に入ると、不思議なことに、たちまち心はウキウキ、ルンルン気分に……。新しいページのスタートです。
2 60年代のイタリア 地上の楽園 サレンモ
青春の始まりはサンレモから
私が初めてイタリアの土を踏んだのは60年代の後半で、半世紀以上も昔にさかのぼります。当時、私は青春の真っただ中にいました。その頃は、外国の航空会社のCAであり、イタリア旅行は、入社して初めての休暇を取ったとき。日本の実家に里帰りしたのですが、すぐさま姉を誘って海外に飛び出しました。
スタートは東京で、香港、バンコク、フランクフルト、ロンドンと、世界一周航路を周り、その後、ロンドンからパリ、ローマ、リスボンと、一ヵ月かけて観光しました。
鉄道も利用し、パリを起点にニース、カンヌ、モナコ、サンレモにも足を延ばしました。地中海沿岸の美しさに圧倒され、サンレモがイタリアに含まれていることを見過ごしていました。
その頃の私は、国際線CAといっても、まだほんの卵であり、世界の隅まで知っているというわけではありません。あの旅以来、ローマをはじめイタリアには百回近く足を運んでいるのですが、私が最初にイタリアに足を踏み入れたのはサンレモでした。
今でこそ日本でも、サンレモといえば「サンレモ音楽祭」で知られていますが、私が訪ねた頃のサンレモは、それほど有名な街ではありませんでした。
四十年以上前の昔になりますが、あのときの紺碧の空と海、髪をそよがせて吹き抜ける風の心地よさは、今も感覚の中によみがえってきます。夏の盛りで、陽光は容赦なく照り付けるのですが、湿度は低く、木陰に入れば涼しかったことなど……。
夕方、高台にあるカステッロ広場から見下ろした街の全景の美しいこと。まさに筆舌に尽くせないとはこのことです。
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