個性的な先生方

次に浮かんでくるのが、個性の強い先生方のことです。社会のY先生(通称:ガッツ)、国語のI先生など、先生方はみな、人間味あふれる方々であったと思います。

教科の勉強を熱心に伝えようとしてくださったことはもちろんのこと、人として真正面から向き合ってくださっていたことが今になってしみじみとわかるのです。そんな先生方に教わっていたことは非常に幸運であったのです。

1年生のとき、友達が好きであったMさんという女の子が静岡に引っ越すことになりました。

友達が悲しんでいたことを見ることはつらかったですが、それ以上に数学のO先生が彼女を送るために、授業中にフルコーラスで、城卓矢さんの「骨まで愛して」という曲をしみじみと歌ってくれたことは忘れられません。

子どもであった私たちにはその歌の深い意味はわかりませんでしたが、当時40歳くらいであったと思われる先生は「生きている限りは、人を信じて、愛してください」というメッセージを、去っていく彼女だけでなく、クラスメート全員にまで示してくれたのだと思います。

お世話になった地域近隣センター

自宅から2~300メートルだったと思います。坂を下ったところに、近隣センターと呼ばれる、商店街がありました。

郵便局、銭湯(同じ学年の子の実家)、おもちゃ屋(同級生H君の母親が経営)、自転車屋(店主が私と同じ誕生日)、米屋、薬屋、理美容室、本屋、八百屋、魚屋、総菜屋と店のバリエーションはかなりのものでした。

天ぷらそばの自動販売機もあり、お金を入れて約1分で天ぷらそばができあがりました。友達と顔をつき合わせて、「誰か入ってんの?」と言いながら、そばの取り出し口をよくのぞき込んだものです。

またおもちゃ屋の同級生のお母さんは学生時代にソフトボールをしていたらしく、私たちが野球道具を持ったままうろうろしていると、キャッチボールに誘ってくれました。

その人の投げる球は恐ろしく速く、平気な顔を装って受けましたが、けっこう怖かったです。

また、近隣センターとは少し離れたところに、新聞各社の販売店が並んでいる一画があり、そこにも同級生M君の家があったのを覚えています。

彼とは時々野球をして遊んでいました。販売店を引き継いだのでしょうか。また、元気でいるでしょうか。

 

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