【前回の記事を読む】レオナルド・ダ・ヴィンチの生家があるイタリアのヴィンチ村。レオナルドの父は若い頃この村に住み公証人をしていて……
プロローグ
ヴィンチ村
彼は一年間のフィレンツェでの絵画修業を終えて、自分の国に帰ろうとしていた。 本当はもっと長く、出来たら三、四年くらいいてもいいと思ってイタリアにやって来た。
フィレンツェは彼の生まれ故郷であり、八歳まで過ごした町である。だがすぐに自分の見込みは甘かったと気付いた。
彼は自分は本質的に自由な人間だと思っていたが、実はそうではないことを知った。胸の中に刺さったとげのような痛み――それは一体何か。ひょっとして誰かに対する妬みか? それともちっぽけな、取るに足らない自尊心が傷ついたせいなのか?
そして自分に対する幻滅。それは実は根拠のない自惚(うぬぼ)れの裏返しに過ぎない。二十一歳という年齢を差し引くとしても、先のことが分からないままに時間だけは過ぎて行く。
彼は窓から外を眺めている子供に心の中で話しかけた。
(君の孤独が僕には分かる――僕もまた孤独を抱えているから。とは言っても僕の痛みは君の人生を思えば余りにも小さい。時というものは凡庸な者には残酷だ――)
彼はこの質素だが妙に心の落ち着く場所にあって、深く頭を垂れ、自分の思いを無言のまま少年に投げかける。
(君はやがて成長して先人が越えられなかった高みを越えることになる。君は人間に与えられた時の無情を乗り越える。だが僕には不可能だ。なぜなら君の百分の一ほどの才能もない……いや、千分の一もないと言ってもいい。僕はこの幻滅から立ち上がることが出来るだろうか? 自分に与えられた、わずかな時間を無駄にすることなく? 答えはまだ見つからない――)