私はリカコさんから伝統のファイルを受け継ぎ、改めてサリンジャーという作家の特異な視点とその誠実さを感じた。「サリンジャーはなぜ『ライ麦』を書いたのか。それは冒頭のところではっきり述べられている通り、マッカーシーという政治家の名前とともに記憶されている『スパイ狩り(マッカーシズム)』が関係している」
「……人の心の中に土足で踏み込んでくる権力に対して、サリンジャーという作家ははっきりNOを突きつけている。彼が守ろうとしているものは人間の心の最も大切な部分であり、何人も侵してはならないものなのだ」
「ハリウッドのある大物俳優は、『スパイ狩り(マッカーシズム)』を実行する委員会の意図に従って行動すること─すなわちそれは密告のことだが─が、アメリカ国民として当たり前のことだと信じて疑わなかった。当時は圧倒的な力を背景に、多数派のアメリカ人が熱狂的な感情を伴って、密告と吊し上げをすることが正義だと信じていた」
「もちろんサリンジャーは文学者だから、マルコムXのような武力闘争をするわけではない。あくまで控えめに、ライ麦畑で迷った人がいたら、自分が捕手(キャッチャー)になって受け止めてあげるよ、と主人公に〝宣言〟させることで物語を終わらせている」
「頼りない少年にそう言われても、誰も本当の捕手になることを彼に求めているわけではない。将来本物になってくれるなら、それはそれで歓迎するよという気持ちから、彼を応援しエールを送っている。行き過ぎが生じないことへの配慮があるからこそ、読者はサリンジャーを支持する気持ちになるのではないか」
ファイルの中にあった卒論の一部だ。当時の社会状況を踏まえ、典型的なアメリカ市民の意識と行動がよく描けている。ただ、私なりに言わせてもらえれば、この小説に描かれている内容は、基本的に、精神的に未熟な男の子の論理(ロジック)だと思う。他の学生のファイルも見てみよう。
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