実際のところ、大事に可愛がっていた娘が知らない男に取られたことの衝撃を隠せなかったのだろう。それでも言っていいことと悪いことの分別がつくいい大人なのだから、言動には注意してほしかった。私は言われた言葉を決して忘れない。

父との溝は深くなるばかりだった。勉強どころではなくなり、父は帰ってしまった。

「こんな家、すぐに出て行ってやる」

悔し涙でいっぱいの私に母がティッシュ箱を差し出してくれ、涙と鼻水を拭うとすぐに祐介に連絡した。

祐介の部屋にきた私は起きたことをすべて話した。終始、相槌を打ちながら祐介は黙って聞いている。殴られた耳の裏には五百円玉くらいのたんこぶができていた。祐介は氷を袋に詰めて口を閉じ、タオル越しに冷やしてくれた。

「泣いたの?」

赤くなった瞼を見ている。

「痛かったね、おいで」

ベッドを背もたれにして床に座る祐介の胸に頭をくっつけた。大きな祐介の手で頭を撫でてもらうのが好きだった。

私は両腕を祐介の腰に回して「別れないよ」と口にした。途端に祐介が離れてしまうのではないかという不安が押し寄せてきた。

分かっていた。私が大学に受かれば東京に行くことになる。こんなにも依存している私がそれに耐えられるはずがないことは明白だった。

私たちはこの話題について避けていた。話したところで納得のいく答えが出るわけではない。

「別れないよ。里奈は安心して美術に打ち込んでね」

言葉にしてもらうと安心できた。それからは会うたびに「別れない」という言葉を言ってもらった。そうでもしないと私の心は二度と立ち直れないほど折れてしまいそうだったから。

次回更新は4月23日(水)、21時の予定です。

 

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