Ⅲ 父の遺品 一九八七 盛夏
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故郷に戻り四か月ほど過ぎたころである。記憶の棚からは、今後も引き出すことなくスルーしたい「夏祭りカラオケ大会」も終った非番日である。母の依頼でそのままになっていた父の部屋を片付けることになった。
父が戻るまでは、物置部屋に近い状態であった二階の四畳ほどのスペースである。発病により自宅での休職を余儀なくされたのを機に、父はその部屋を整理し、本棚と自らが揃えたオーディオをセットする。自宅に戻ってからの父は、これまで出来なかった読書と音楽鑑賞の日々を過ごした。
父が残した本が、今も本棚に並んでいる。池波正太郎、司馬遼太郎、山岡荘八、特に、池波正太郎の『鬼平犯科帳』と『剣客商売』は、ハードカバーですべてが揃っていた。その他にも、司馬遼太郎の『坂の上の雲』、『飛ぶが如く』や山岡荘八の『徳川家康』などが綺麗に帯まで付いて本棚に並べられていた。
父がこのように時代小説が好きであったことも、亡くなってから後に知ったことである。もちろん音楽についても同様であった。
母曰く、自宅療養の二年という期間は「晴耕雨読」否、「晴読雨読」に近い状態で、殆どの時間をその部屋で過ごした。ただ父が亡くなると、父が過ごした時間の痕跡を忘れるように、自然にその部屋も以前の物置部屋へと戻りつつあった。
「お父さんが死んでから、少しは片付けようと思ったんだけどね……。整理しようとすると、ついアルバムを開いちゃって。お父さんの写真を見ると先に進めなくなるんよ」
母は父の部屋に無造作に積まれた本の上にあるアルバムを手に取り開いた。
「この写真のお父さんが、一番きれいな顔をしているね」
アルバムにある一枚の写真を愛おしそうに、そっと指で撫ぜた。