この曲は、美しい、という範疇の、外にあると思う。

喜びでも悲しみでもない。嘆きでも求めでもない。どう表現して良いのか、私には分からない。「結論のような曲」というしかない。といって、何の結論なのかも分からない。

私には、私の通夜の席で流してほしい曲がある。このメモにも追って書くつもりであるが、今回のツィクルスにそのうちの2曲が含まれている。奇しくもツィクルス開始の曲、モーツァルトのピアノ協奏曲27番変ロ長調第2楽章、そしてツィクルス締め括り、ブルックナー交響曲9番ニ短調第1楽章、である。

2011年3月20日(日)、3・11大震災の直後、ウィーン・フィルが大震災死者への追悼演奏をして下さっ た映像が、NHK夕刻6時台のニュースで、流れた。

ダニエル・バレンボイムの弾き振りであった。

放映された演奏はごく断片で、私の能力では不確かであるが、モーツァルトのピアノ協奏曲27番変ロ長調第2楽章だったと思う。

もし私のその記憶が正しいとすれば、今回のツィクルス冒頭に同じその曲を置いたのは、この曲がバレンボイムにとって、特別な意味を持つものかもしれない。そしてバレンボイムは私がそう確信するように弾いた。

私にとって今夜は、ブルックナー1番は付録だった。