【前回の記事を読む】「人に「め」「い」「わ」「く」「を」「か」「け」……続く二文字を子どもたちはなんと答えるのか?
第一章 高学年の子たちと~分数から命の授業まで~
1. 新学期のあいさつは「人に迷惑をかけよう」
② ウソを言うな。本音はどうなんだ
意地悪かも知れませんが、もうこっちのペースです。
「近くの人と少しの時間、相談してごらん」と言うと、子どもたちは異様な緊張感が解きほぐされたのか、それでいて迂闊なことは答えられないぞという真剣味のある相談を始めました。
頃合いをみて私は、
「やめ、もういいだろ。どうだい?」と聞いて、子どもを指します。
「仲間なのだから迷惑をかけあうというのはいいと思いま す」
「できるはずのないことではクラスのめあてになりません」
「でも、どんな迷惑でもいいのかということを考えなくてはいけないと思います」
「わざと迷惑をかけてもいいという意味ではないと思うのですけど、うまく言えません」と真剣に答えました。
私は、再び、「えらい。本当にえらい。キミたちは本気でこの学級をどうしようか、この一年をどう過ごそうかと考えたからだ」と言いました。1日目は、とりあえずここで終わりにしました。
③ 本音で考える学級、本当の仲間作りをしよう
2日目は、昨日の「どんな迷惑でもいいのかということを考えなくてはいけないと思います」という言葉を取り上げました。つまり迷惑の質について考え合ったのです。
でも迷惑をかけてもよいのはどんなことかなど考えたこともない子どもたちです。なかなかまとりません。考えのきっかけとしては具体的なことになります。
「例えば、勉強しているときに『教えて』と言われたら迷惑じゃん。でも教えた人が分かってくれたらうれしいじゃん。そして何かの時に『あの時はありがとう』って助けてもらえればもっと仲良くなるかもしれないじゃんか」というような声も聞こえてきます。
「でもこういう場合はどうなんですか」という細部の例外的なことが出てきて一層ややこしくなることもあります。結局、
•迷惑と感じるかどうかは本人次第。だから、周りから見たら迷惑と思えることであっても、かけられた本人が許せると思うなら周囲はとやかく言うことではない
•本人同士の見解の相違で、言い分が食い違ったときはクラスのみんなで話し合うようにする
ということだけが決まり、この問題は決着しました。