【前回の記事を読む】北朝鮮でも日本と同じような飲み会作法が。穏やかで楽しい晩餐会となったが、翌月の頭に衝撃のニュースが舞い込む……

第二章 一九九八年 秋  

九月一日(火) 雨のち曇りのち晴

引っ越し荷物、初めての論争

午後二時ごろ、建設サイト前の保税区域内で自分の引っ越し荷物の通関手続きに立ち会うこととなったが、北の税関職員が荷物を開けるというので、これを拒否したところ、議定書どおりの手続き(陽化(ヤンファ)港に戻してエックス線透視装置を通すとのこと)にて通関する結果となった。

あまり急ぐ荷物でもないし、KEDO職員として北との特権、免除条件で譲歩するわけにはいかないのでそのようにした。通関現場で李(イ)代表が若干感情的に申し入れたきらいがなきにしもあらずだが。

午後五時過ぎ、今度は陽化(ヤンファ)港で通関の手続きに立ち会う。韓電建設本部や施工企業団の協力を得て荷物(十六箱)を運び、一つひとつエックス線透視装置にかけて検査し、私の一箱を除いては何の問題もなく通過した。

問題となったのは武器のようなものが入っているのではないかと、北の税関吏が疑問を抱いた(難癖をつけた?)からである。

私は決してそのようなものは入っていないが、エックス線に映っているものが何かはわからないと答えたところ、「箱を開けてほしい」とのことであった。

KEDO代表の一人であり議定書でも開梱(かいこん)不要は保障されていることなので、「開ける必要はない」とがんばったが、代表なら政府発行の(KEDO発行ではなく)証明書を見せろとか、議定書にも疑わしい場合には開けることができるとなっているとして頑として聞かない。

そこで、ジョーン代表とも相談し、同氏立ち会いの下に仕方なく箱を開け、問題となったものがカメラの三脚であることを発見した。

北側との初めての「闘争」であった。今回は本心から箱を開けたくなかったのではなく、抗議することに意義があると考え若干強硬に主張したが、次回からはもっと冷静に、かつ理論的にがんばってみたいと思う。

九月二日(水) 晴

ミサイルなんて知らない

北朝鮮の保険会社の人たちは、ミサイルの発射実験をした事実を知らされていないようだ。また、それによってなぜ本格的工事が遅れることになるのかも理解ができない様子であった。

日本では大騒ぎをしているというのに。外務省のN事務官からもこちらの様子を心配して電話があった。

ミサイル発射のニュース直後、妻のいるニュージーランドからは一時的にこちらに電話がつながらなかったらしい。

そのことをN事務官から聞き、こちらから電話をして家族を安心させた。韓国人は大して心配している様子はない。みんなで一時的に引き上げるといって北側を驚かそうなどと冗談を言っている。