はじめに
古地図を眺めながら、街を歩く楽しみをおぼえたのは、二十代の頃だった。
ある書店の「古地図まつり」という催しで、昭和八年版の「模範 新大東京全圖」なるものを買った。その古地図を趣味の東京散歩の道連れに、かつての軍の施設や工場、学校の跡地をめぐったら、往年の「東京市」を散策しているような、魅惑的な錯覚に引き込まれた。
街の過去を想い描きながらの散歩を、旅にした。
二〇〇〇年の八月、現在の中国東北部を、旧満洲国の主要都市の古地図だけを頼りに、一ヶ月をかけて北上した。大連から鈍行列車に乗り、瀋陽、長春、ハルビンへ、ハルビンから夜行列車を乗り継ぎ、チチハル、ハイラルを経て、ロシアとの国境の街、満洲里まで行った。
中国の高度経済成長が始まる前だったこともあり、日本人が建設した商店街やホテル、集合住宅や駅舎などの旧跡が、街の至るところに手つかずのまま残されていた。
二〇〇六年の夏のサハリンの旅では、旧南樺太の豊原、大泊、真岡の市街地を、日本領時代の古地図を手に、鉄道とレンタカーでたずねた。
往時の施設や街の形を封印した古地図という水先案内書は、いつかの日本人が抱いた夢や理想、歴史的な快挙から、おびただしい過ちまで、すべてを引きくるめた先人たちの生の足跡へ、私を誘った。
今こうして、考え、思う、自分を、自分として成り立たせているもの。その礎は、どこまで遡って、探ることができるのだろう。
私は、人類の歴史上のいかなる時代を、生きているのだろう。この国の近代史を総覧してみたいという大それた思いを携えて、二〇一七年の八月十二日から十五日まで、仕事の夏季休暇を利用し、舞鶴を旅した。