「あのね。あの日」

「ん?」

「おとうさんが亡くなった日」

「ああ」

心臓がドクンと跳ねた。

「わたしが森口さんたちに苛められていたのを覚えてる?」

「ああ」

教室の一角で沙耶伽は、女生徒三人に取り囲まれていた。

「おとうさんと一緒に歩いていることを、からかわれたの」

「うん」

「あの日も、おとうさんから興正寺に行くことを誘われたの。……でも断った。行きたくなかった。……もしわたしが一緒に行っていたら、あんな事故には遭わなかったと思う」心臓がまた跳ねた。

「おとうさんは、興正寺に疑問を持っていたの」彼女はこのお寺の説明を始めた。

「これだけのお寺を造ったのに、徳川のゆかりのある人のお墓が一つもないのはおかしいって。当時の興正寺は十万坪もあって、堀と土塁に囲まれて空堀まであったの。名古屋城の出城(でじろ)として造られたのだと思う。

どうして江戸幕府にお寺の建立願いまで出して、こうした出城のようなお寺を造ったのか。しかも、徳川の敵は西国(さいごく)大名でしょ。それなのになぜ、お城の東側に必要だったのか。おとうさんはね、興正寺は幕府に対しての備えだと考えていたの」

おじさんの推論を沙耶伽は語り続ける。

「興正寺が建てられた頃、尾張藩は幕府とはかなり緊迫した状態だったの。参勤交代にもなかなか従わず、最後に渋々江戸城に登城したみたい。そんな尾張藩を幕府も面白く思わなくて、一触即発状態だった。

東から中仙道で名古屋に攻め入る場合、まず戦場と考えられるのが八事なの。お寺の建立願いで幕府を欺いて、気づかれないように要塞都市を造り上げようとしたんじゃないかって。お父さんはそう考えていた」山を下ると遠くに町の喧騒が聞こえ始める。

「あの日、その仮説を確かめるため、おとうさんは興正寺を訪れたの。八事山が東に切り立っているのか、西に切り立っているのか。東に長く伸びる空堀の跡があれば、まず間違いがないって。それを確かめればすべてがわかる。そう言ってあの日、八事山に行ったの。そしてあの事故に遭った」

陽は傾き暗い夜の帳(とばり)が八事の町に落ち始める。

「おとうさんは自分の仮説が確信に変わるのを、わたしと共感したかったのだと思う。だから学校から帰るのを待っていた。それをわたしが拒絶したの。嫌がらず一緒に行っていれば、あんな事故には遭わなかった。だから八事の歴史を編纂した本を、わたしが代わって作らなければいけないの。お父さんの夢だったから」

沙耶伽がどんな表情でそのことを語っていたのか、暗くて窺うことはできなかった。僕は沙耶伽に胸の鼓動を気づかれるのが怖かった。移り変わる季節は気忙(きぜわ)しく秋の背中を押してゆく。

 

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