「俺は、水口城から二、三十人ほど甲賀衆を脱出させたが、その際武士と遭遇し、刃を交えねばならなくなった。これからはさような戦いも必要となってこよう。久しぶりにやってみるか?」

「えっ、いいの?」

嬉しそうに答えた初音は、武術が大好きであった。子どもの頃から、この甲賀の里の山や谷を駆け巡り、同い年の太一や十蔵たちと競って訓練した。

この甲賀の里は、鈴鹿山脈を源とする幾筋もの川が、長い年月をかけて少しずついまのような山と谷とが幾重にも重なり、深い碧が覆う独特の地形を築いてできたものだ。

その中心となる川が、油日岳(あぶらひだけ)に水源を持ち盆地の中央を流れる杣川である。この川に沿って多くの村々が形成されていたが、狭い盆地では広い田は望むべくもなく、村人たちは山襞に小さな田を開いて自活せざるを得ない状況であった。

狭い田のすぐ上にはなだらかな谷と重なり合うように低い丘陵が連なるが、そんな丘陵の山腹には、空堀と二間ほどの高さの土塁とで囲まれた石垣のない小さな砦が数百も築かれていた。この山塞のような屋敷が村々を支配する城館であった。

太一や初音たちの塒がある望月家の城館は岩尾山の裾野にある。岩尾山には少し分け入っただけで、そこここにごつごつとした岩がころがっていた。その苔むす岩からも木々が生い茂っているような深い碧の薄暗い森の中を二人は走った。

山腹に息障寺(そくしょうじ)がある。そこの境内の空き地で太一と初音は忍び刀を模した少し短めの木刀で、剣のように突きを中心とした戦いをする。刀を持った武士と戦う場合、斬る動きでは短い忍び刀は不利だからである。

立ち合いは熱を帯び戦いの場は森の中へと移っていった。太一が太い樫の木を背にしたとき、ここぞと狙って初音が鋭く突いてきた。太一がぎりぎりの間合いでこれを躱すと、初音の木刀は樫の木に突き刺さらんとするかの勢いで伸びてきた。そこを太一は、上から叩き落とした。

 

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