小さな流れに自生したセリを見つけて父は下におりて行った。食べられるものは何でも食糧となった。

私たちは摘めるだけのセリを摘んで母への土産にした。大八車の、さっきまで弁当のあった場所に、今度はセリの束が揺れていた。大きな積荷と共に我が家にたどり着いたのは、春の日も暮れようとする頃だった。

大八車を返しに行く日は、私と弟と、そして私より三つ年上の姉が途中までついて来てくれることになった。今度は母が、なけなしの米をかき集めて作ってくれた三人分の握り飯が、ふろしきに包まれて大八車に、しっかりとくくりつけてあった。

うららかな陽春の中を、交代で梶棒を引いたり、後押しをしたり、くたびれると車に乗ったりしながら大阪の市内を(はず)れると、舗装された一本道が続く。途中で夏みかんを(ひと)(やま)十円で売っている家があった。

つややかな黄色と、一山の数の多さにつられて、「夏みかん買おうか」と私が言った。

「うん、買おう」

姉も弟も賛成した。乏しい持ち金の中から買った夏みかんは春の香りがした。交代で番が回ってくると、がたがた揺れる車の上で酸っぱい夏みかんを口をすぼめて食べた。

府県境の山が近くなってくる頃、道路はいつの間にか大和川の流れと道連れになる。くたびれた足を少し冷やそうと、道端に大八車を止めて三人は川へ下りて行った。冷たい水は、ほてった足に心地良かった。

あまり間をおかずして大八車の所に戻った私たちは一瞬、息を()んだ。握り飯のふろしき包みが無い。夏みかんの袋も無い。盗られた──。辺りを見回したがそれらしい人影はない。母の心尽くしを思うと悔しかった。ただ悔しかった。

「うち、ここから帰るわ」