第1章 序章:ジグムント・フロイトとフランツ・カフカ 
―その病気と苦悩と死

カフカは、1912年9月23日の日記に『審判』を一晩で書き上げて幸福感に酔いしれていたことを振り返って、「もちろんフロイトのことを考えている」と記している。

作家のフランツ・カフカ(1883‒1924)と神経学者で精神分析医のジグムント・フロイト(1856‒1939)にはもう一つの関係があった。両者は、当時としては因果関係のわからない重い持病を抱えて、長年にわたって苦しみを耐えてきたという運命を共有していた。カフカは肺結核と喉頭結核、フロイトは顎と口蓋の悪性腫瘍に苦しんでいた。

彼らの運命に共通していた点は、衰えや痛みを感じながらも作品を創り続ける創造性や粘り強さでもなければ、強烈な自己主張でもなく、病気と死を受け入れて共に生きていく勇気と冷静さであった。

また、この二人は「痛みを和らげてほしい」「耐え難い苦しみを終わらせてほしい」という願いを持ち続けており、これを叶えてくれる医師が同行して治療してくれた点でもよく似ていた。医師らは、この二人の死に方を助けただけでなく(付論(1)参照)、この二人の死への旅そのものを助けていたのである。

それが、どのようにして実現したのか、カフカとフロイトの死期と最期の時間がどのような状況下で経過したのかについて以下に述べる。

「クロプシュトック君、わたしを殺してくれたまえ、さもなければ、君は人殺しだよ!」

フランツ・カフカの詩的な作品は、世界文学のなかでも比類がない。カフカが背負った重荷、謎めいた不可解さ、引き裂かれ苦しみ続けた人生、それらは、カフカのすべての小説や物語に反映されている。

カフカの友人で伝記作家でもあったマックス・ブロートは、カフカの作品は、人間の生の不完全さや不可解さを、後にも先にも誰にも真似できないようなやり方で、徹底的に究明していると述べている。

カフカの作品は、彼の個人的な病歴と密接に絡み合っていた。カフカは、その生涯を通じて、自分の心気症的な身体的心理的状態を観察し続けていた。自分の体調のわずかな変化さえも、常に記録していた。手紙や日記には、神経症状(当時は神経衰弱と呼ばれていた)が繰り返し登場しており、やせ細っていて発熱や不眠症や頭痛の発作で苦しんだと記している。