指切り宗佐 愛恋譚

一 盲目の侍

大坂夏の陣(一六一五年)が終わり、江戸の世が本格的に始まろうとしていた元和(げんな)年間の頃、武蔵の国のある小さな藩に、奥貫宗佐隆清(おくぬきそうざたかきよ)という名の若者がいました。

父親の宗助は中堅の武士として藩主の高瀬氏に仕える傍ら、余技として篠笛をたしなむという一面を持っていました。その長子として生まれた宗佐は、幼い頃から聡明な上に武芸の才の片鱗も見え、両親も行く末を大いに恃(たの)んでいたのでしたが、惜しいことに九の歳に重い疫病(えやみ)を患ってしまいました。

あれこれと信心や療術を試みた末、命だけはかろうじて取り留めたものの、両目の光だけはついに取り戻すことができませんでした。

一体どうしたものかと息子の行く末を思いわずらううち、宗助は、自らの吹く篠笛に宗佐がただならぬ興味を示すことに気付きました。試みに手ほどきをしてみたところ、その技量はみるみるうちに上達し、元服を迎える頃にはすでに父親をもしのぐかと思われるほどの腕前になっていました。

日ごとにたくましい若者に成長してゆく息子の姿を眺めるにつけ、あの患いさえなければと、両親は幾度嘆いたか知れません。

後継ぎの叶わぬ身ゆえ、家督は二歳下の弟の宗行が引き継ぐことになり、成年に達した宗佐は奥貫家の代々の菩提寺である臨済宗臨在宗恒龍寺の境内で荒れ果てていた小さな塔頭(たっちゅう)を借り受け、そこを住まいとするようになりました。

すでに藩内でも有数の笛の吹き手としての名望が定まっていた宗佐は、その六畳一間の草庵に寝起きしながら、藩主の館屋敷で催される能の会で笛方を勤めたり、笛を習う者に稽古を付けたり、折々に寺の催す法会の余興で笛を吹いたり、暇な折には作務の手伝いをしたりしながら暮らしを立てていました。