二人は今ずずさんの実家のお墓の中で眠っている。ただ、ずずさんの希望として死後は新しいお墓もしくは永代供養で幼く別れた二人の娘と三人で一緒に過ごしたいと常々言っていた。それに一度嫁いだ身としてはご先祖も眠るお墓に入るのは気がひけるらしい。

「健兄の番号知ってるの?」

「まぁ、連絡はとれる」

長い合掌を終え痛みを堪えながら立ち上がったずずさんが不安そうに聞いてくる。僕は不安の要因であるこの墓の現責任者である伯父の面長な顔を思い浮かべる。

健兄はずずさんの二人いる兄のうちの次男。実家を出てから一〇年以上大阪にいたからか、話が面白く日本中を駆け回るやり手の営業マンだったためか服やおもちゃを会う度に用意してくれたことから子供の頃はビリケンさんと呼んでいた。本来、長男である邦夫おじさんが継ぐはずだったのだが随分前から音信不通になっている。

最後に会ったのは確か……祖母の葬式だったろうか。その時も一〇年以上ぶりに会ったのだが随分とやつれた姿に驚いた覚えがある。それから更に一〇年か。もはや街ですれ違っても気付けるか自信がない。

そして健兄とも祖父の死後、よく聞く金銭トラブルから絶縁状態となった。お互いそれぞれの守るべきものを守るために道を違えたとは言え二人にはとても感謝している。

もちろん邦夫おじさんは僕と珠ちゃんを父から救ってくれたこと。そして、健兄は文字通り兄的な存在として出張の途中で実家に立ち寄ってはテレビゲーム、マジック、トランプなど色んな遊びを教えてくれた。それに大人の世界をユーモアたっぷりに話してくれた。だから健兄が来る日はいつもワクワクが止まらなかった。

それに冬になると泊まりがけでスキーにも連れて行ってくれた。綺麗なシュプールを描いて颯爽と滑っていく健兄はとても格好良かった。

僕が四歳になってすぐに始まった一宮市での暮らし。年明けからずずさんは膨大な手続きのためにお役所めぐりをして珠ちゃんは新しい小学校、僕は幼稚園に通い出した。厳格な祖父と物静かな祖母との暮らし、それから新しい名字に慣れるのに最初は戸惑ったが春先になると少しずつお調子者の洋ちゃんが戻ってきた。

 

次回更新は3月7日(金)、8時の予定です。

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