歴史家の方々は「この中国大返しは不可能だ」とか「どう考えても1日か2日足りない」と言いつつ、秀吉が実際にやったという前提に立つから、「しかし、一夜城の例もあり、戦上手の秀吉のことだし、何せ秀吉が実際にやったのだから、何かうまい方法を考え出したのだろう」と締めくくる。

しかし、この時中国地方は何日か置きに大雨が降ったのだ。氾濫 (はんらん)した河を渡るだけでも数日かかり、8日間で200kmの移動などできるはずがないし、ましてやその直後に戦などできるわけがない。

その一方で明智光秀は本能寺の変が自身の犯行である旨の書状を自身の寄騎や足利義昭将軍に送っている。

本書は通説とは異なる数々の情報や、光秀がそういう書状を送るに至ったいきさつに切り込むことで、本能寺の変の真の姿をつまびらかにしようとするものである。

本書はそのような観点で通説に切り込んでおり、筆者が考える史実を第一部「歴史考察編」と第二部「歴史小説編」の二部構成で述べた。

また、一般的には理由が不明といわれる千利休の切腹についても本書で明らかになり、さらに、家康に仕えた天海僧正が光秀であった根拠や天海僧正、春日の局(福)、3代将軍家光の繋がりについても第二部の終盤に言及した。

なお、通常、本能寺の襲撃=信長の殺害と解釈されているが、本書の中ではこれらを区別して述べているので、その点を混同しないように気をつけてご精読いただきたい。

なお、軍勢や物量などの数値については諸説あり、真相が不明なことから、筆者が適切と考える数値を採用した。